松本雄貴のブログ

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72回目「瓶詰の地獄」(夢野久作:角川文庫)

あははははは。いひひひひひ。うふふふふふ。えへへへへへ。おほほほほほ。はっはっは。あーっはっはっはっは。ぐへへ。ぐひひ。いひひ。ほほほ。くっくっく。ききき。けけけ。

と、いうように小説内で笑い声を表現するのは難しい。カギ括弧の中に笑い声を入れると途端に下品になったり、シリアスな内容が滑稽になったりする。小説全体のバランスや雰囲気が、笑い声を表記することによって著しく損なわれる恐れがある。

戯曲の場合は、笑い声も含めて「発語される言葉」として書けばいいので、笑い声をそのまま表記しても小説ほど問題がないように思う。

敢えて滑稽感を出したり、ギャグとして使ったりという以外の目的で笑い声をそのまま表記するのは珍しいだろう。夢野久作の小説は、その数少ない例外ではないだろうか。どの短編も妖しくて怪しい内容だが、笑い声の表記が不思議と妖しさと怪しさに調和している。平仮名ではなく片仮名で表記されているのも一因だろうか。例えば、上品で知的な女性は「オホホホホ」と笑い、粗野な男は「へへへへへ」とか「ハハハハハ」と笑う。ここだけ切り取れば、とても漫画的でギャグのようだが全体を読むと結局この笑い方が正解なのだ。収録されているどの作品も、少なからず陰惨で人の心の暗部を描いている。しかし、このような笑い方の表記によって、ここに描かれているものは現実ではない、一種の黒いファンタジーなのだと読者に思い留まらせる効果がある。だから、陰惨な内容にも関わらず読後感は割と清々しい。覗いてはいけない世界と純然たる創作物を繋ぐ蝶番のような役割を果たしている。そこから、読者は甘美な世界に少しだけ酔わされる。だから、夢野久作の小説は案外エンタメとしても楽しめる。

 

表題作の『瓶詰の地獄』は、正直あまり面白くはなかった。短すぎるというのもあるだろうが、自分的には物足りなかった。割と有名な作品なので、読む前から内容は知っていた。だから、読み終わった後も「ふーん…」としか思わなかった。手紙が書かれた順番や、聖書に絡めた考察などが盛んにされているようだが、それほどこの短編に研究する材料があるのだろうか。

そこから、『人の顔』という、親の醜さの犠牲にされる子供という少し後味の悪い短編を挟んで、バイオレンス色と変態性が強い『死後の恋』『支那米の袋』が続く。この二編は、それぞれ男性・女性の一人語りで書かれており、先に説明した笑い声の記述による効果が顕著だ。

次に収録されている『鉄鎚』は、物語が前の四作よりしっかりとしており、読み応えがあった。夢野久作の十八番である怪しさと妖しさに退廃的な空気が加わり、自分の中では一番面白かった。

5作目は『一足お先に』という短編である。まず、タイトルが素敵だ。この小説に『一足お先に』というタイトルを付けるセンスが光っている。夢遊病をテーマにした作品で、収録作の中では一番ミステリー性が強い。失くしたはずの足の感覚に関する描写がとても巧い。

最後の作品『冗談に殺す』もミステリー仕立てだが、イマイチだった。とても悪い女が出てくる。取り敢えず、動物が好きな人は読まない方がいい。夢野久作の小説に残虐性と猟奇性を求めているのなら、この短編が一番合っているのかもしれないが、その残虐性の向う先が動物というのが最も嫌悪を抱くところだ。