松本雄貴のブログ

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34回目「希望の国のエクソダス」(村上龍:文春文庫)

村上龍の小説は、ほとんど読んでいなかった。大昔に『コインロッカー・ベイビーズ』と『限りなく透明に近いブルー』を途中まで読んで投げ出した。それ以降、エッセイをたまに読むくらいで、小説は全く読んでいない。

まずタイトルが苦手だった。今回、読了した『希望の国エクソダス』しかり『愛と幻想のファシズム』しかり。何か大仰でカッコ付けてる感じが苦手で、ずっと敬遠していたのだった。

しかし、読まず嫌いはよくないので、改めて『希望の国エクソダス』を購入し読みだしたのだが・・・。 

これがすこぶる面白い。ナマムギというパキスタンで地雷撤去の作業をしている少年。その少年に触発された日本の中学生達が、日本という国のシステム(このシステムには日本の様々な問題が内包されている)を見限り、中学生達だけの新たな組織を作っていく(組織という概念自体が作中の中学生に言わせればナンセンスなものなのだが、あらすじ説明の便宜上使用した)。中学生たちによる革命を、経済と国際情勢の膨大な知識を絡めながら壮大なスケールで描いた小説で、どこを読んでも退屈させない。作中の中学生たちの破天荒かつ理知的な行動に比例して文体もとにかくエネルギッシュだ。

希望の国エクソダス』の前に古井由吉の短編集を読んでおり、こちらは個人の内面や一つの事象に深く深く掘り下がっていくような小説で、そのような内向の文学を好んで読んでいた自分には、古井由吉の文学とは全然テイストの違う、外に向かってエネルギーを放出しているような『希望の国エクソダス』は、とても新鮮だった。 

物語の狂言回しであるの「おれ」のキャラクターが魅力的だ。「おれ」は中年の雑誌記者で、ナマムギの取材のために乗った飛行機の中で、中村くんという一人の中学生と出会う。これが、中学生達と「おれ」の最初の出会いであり、以後、「おれ」は中学生達と接しながら、言葉に出来ない複雑な感情を抱くようになる。 

この「複雑な感情」が、とても丁寧に描かれている。小説を牽引する力は、「おれ」の外側の状況、すなわち、中学生達の奮闘(中学生達は概ねクールなので奮闘ではないかもしれない・・・)と激動の社会情勢を並行して描くダイナミズムにあり、事実、そこにも目を奪われるが、一方で「おれ」の内面は、とても繊細にミニマムに描かれている。そして「おれ」の目線の低さが、とても人間的だ。自分は中学生達から信頼されている数少ない大人だと自負し喜ぶ反面、自分の旧来の価値観からは明らかに異質で規格外である中学生に、畏怖する感覚がとても共感できる。

嫉妬とも憧憬とも言えない感情や、自分は他の大人たちと同じく中学生の敵であるのか、或いは、彼らの理解者であり応援者であるのか、逡巡する瞬間。中学生の突飛な行動と発想を、自分の倫理観と照らし合わせて違和感を覚える瞬間。しかし、その違和感を「自分が正しい」という根拠にまで発展できないもどかしさ。「自分は何も知らない」ということを知った瞬間。その一つ一つに頷かされる。

「おれ」が完全に中学生の味方であり、旧態依然とした大人のシステムに中学生と共に戦うというような単純な二項対立の物語だと鼻白むが、そうでないところが、小説に奥行きを与えている。横軸にダイナミックなストーリーがあり、エンタメ経済小説としても充分楽しめるが、奥行きに以上のような「おれ」の葛藤を始め、文学的な主題が流れており、重厚な小説に仕上がっている。

ということで、もっと村上龍の小説を読みたくなった。次は『昭和歌謡大全集』でも読もうかな。オバサン軍団と少年軍団が殺し合う話らしいし、これもスケールがでかそうだ。期待する。

以上

 

希望の国のエクソダス (村上龍電子本製作所)