松本雄貴のブログ

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108回目「欲望」(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)

なんとなくダラダラと見始めて、ちょっと退屈だなと思いつつも途中で鑑賞を止める事もなく、というか、切り上げるタイミングを見失い、結局ラストまで観た。ダラダラと見続けて気が付けば終わっていた。全体的に印象が薄い映画だった。ラストもモヤモヤとしまま終わった。そのモヤモヤの正体を突き止めてみようという積極的な意思も働かない。全体的に見ても部分的に見てもよく分からない映画で、「難解」というのとも少し違う、そういう意味では不思議な映画なのだけれども、その不思議さが魅力的に感じるかというと、それはそれでそうでもない、なんて、感想までも抽象的になってしまう。

自分の場合、こういう映画は通常最後まで観ずに途中で切り上げることが多いのだが、最後まで観てしまったのは、やはり、『欲望』には人の目を画面に引き留めておく何かがあるのだろうか。「もう観るのをやめよう」と思ったタイミングで、ちょっと面白そうな画面に出くわす。その連続で最後まで観てしまったのかもしれない。もう少し具体的に言えば、静と動のコントラスト、その切り替えが巧みだ。

ポップでエネルギッシュな若者たちがロンドンの街中を車で走るオープニング。若いけど、どこか傲岸不遜な感じのする主人公のカメラマンがモデル達に指示しながら撮影するシーンなど、映画の冒頭はテンションが高い。そのテンションの高さは、冒頭だけでなく、その後も随所に現れるのだが、この言わば「動」にあたる部分が自分には退屈であった。むしろ、男が部屋にこもり無言でネガを確認するシーンや終盤のパントマイムでテニスをするシーンに引き付けられた。前者のネガを確認するシーンはBGMも流れておらず、無音の状態が異様に長いのだが、ホラーやサスペンスを見ているような緊張感があり、否が応でも見入ってしまう。ずっとダラダラと鑑賞していたのが、この「静」のシーンは目が釘付けになった。また、パントマイムのテニスも、なぜ唐突にテニスをするのかの意味は全く分からないのだけど、「いや、このシーンは必然なのだ」と思わせるような不可解な魅力があった。

そういう感じで頑張って最後まで観て、それなりに楽しめたのだけど、じゃあこの映画を自分は理解しているのかと問われれば、全く理解はしていない。

ちなみに、この『欲望』。自分はずっとアントニオーニではなくルキノ・ヴィスコンティが撮ったと勘違いしていた。