松本雄貴のブログ

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109回目「パラレル・マザーズ」(ペドロ・アルモドバル監督)

ペドロ・アルモドバル監督の映画は、話の設定を作るのが巧い。その設定さえあれば、どう転んでも面白くなるような設定を作る。中には「さすがにそれはないだろう」と思うような設定もある。しかし、そんな強引な設定でも不思議と作り手の都合を感じさせない。普通は「偶然が多すぎる」とか「展開が強引過ぎる」と思いそうな設定でも、なぜか納得してしまうのである。また、設定から派生したストーリーも練られており、複雑な話なのにストレスを感じることなく、映画の世界に引き込まれる。

そんなアルモドバル監督の新作『パラレル・マザーズ』を映画館で観た。

他のアルモドバル映画と同様、『パラレル・マザーズ』も最初の設定がもうすでに面白い。女の子を出産した、二人のシングルマザーを巡る数奇な運命を描いた物語である。ストーリーの詳細には触れないが、ご多聞に漏れず、いささか強引な設定なのに妙なリアリティーを感じる。

「知らぬが仏」という諺があるが、「知らないまま」だとドラマは展開しない。なぜ、「知ろうとした」のか。そして「知ってから」の葛藤。「知らない」相手に「知らせる」きっかけ。そうして、それから…。確率的にはめったに起こらないであろう偶然が何度も起き、しかし、それがご都合主義的には感じず、なぜか奇跡のように感じる清々しさがあった。

例えば、母になった二人の女のレズシーンがある。最初は友情の意味合いの軽いキスだと思ったが、キスが執拗に長く、そのまま愛撫に流れる。このシーン、あの二人の関係を考えれば、唐突感が否めない。なぜ、性的な関係になってしまうのか、理由も分からない。でも、あのような立場・状況に置かれた人間同士の間には、性的な関係が自然に生まれるのだ、と、妙に納得してしまうような説得力がある。

「ないない」を「あるある」と思わせるのが、アルモドバルの映画の一番の美点だと思う。

そして、ペネロペ・クルスはアルモドバルの映画に出てる時が一番良い、と思う。『ボルベール』とか『オール・アバウト・マイ・マザー』とか。