松本雄貴のブログ

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59回目「野いちご」(イングマール・ベルイマン監督)

1957年公開の映画。本ブログで取り上げた映画の中では恐らく一番古い。有名な映画だが、自分は初めて観た。モノクロの映画なので、眠気に襲われないか心配だったが杞憂だった。巨匠の古典的名作だと思って最初は身構えたが、途中から全く気負わずに観ることができた。総じて楽しい映画であった。

少し偏屈で皮肉屋の老人が主人公。老人は長年医学の研究をしている教授で、これまでの功績を称えられ大学から学位の受賞式に呼ばれる。老人は、ストックホルムから授賞式が行われるルンドという街まで車で移動する。その道中で起こる彼是を中心に描いたロードムービーだ。

老人に同行する人、つまり旅のパートナーになるのは息子の奥さん。つまり義理の娘だ。この設定がなかなか心憎い。義理の親子という関係は、血の繋がりはないが赤の他人でもない、謂わば、微妙な関係だ。濃密でもなく希薄でもない。この関係の微妙さが、時に旅の熱気を抑制し、時に旅の過酷さを緩和する。物語がどちらかの方向に傾くのを中和する役割を担っている。そして、何故この義理の娘が老人の家に居候していたのかが明かされる瞬間が少しほろ苦い。

道中に人と出会う楽しみもロードムービーの醍醐味だ。先に「総じて楽しい映画」と書いたが、自分が『野いちご』に楽しさを感じたのは、主人公たちが途中で出会い、そのまま最後まで同行する3人の若者(男2人に女1人)が大きく関係しているように思う。この3人の若者、とても良い人達なのだ。「良い人達」との形容は抽象的に過ぎるのでもう少し付け加えると、奔放で屈託がない人達だ。この3人の若者は、たまに口論をしたり喧嘩をしたりもするが、嘘がない。底なしに明るくあっけらかんとしている。モノクロの画面の中で、太陽のように映えている。悪意と底意地の悪さに満ちた現代社会に生きる自分は、こういう人と友達になればきっと楽しいだろうな、と思わせられた。義理の娘が、妊娠と夫婦仲に亀裂が入っている事を老人に告白し、映画が少し不穏なトーンに覆われるが、3人の無邪気さが最後まで映画に明るさと楽しさを添えている。だから、安心して観ていられるのだ。

時折、老人の回想シーンと夢のシーンが挿入される。夢のシーンは死を強く暗示しており、暗くて不吉だ。冒頭の夢のシーンは、シュルレアリスム的な不気味さと怖さもある。夢の不吉さは旅の楽しさとは対極的で、コントラストがくっきりと印象付けられる。この夢のシーンが、映画に楽しさだけではないメリハリのようなものを与えており、それは、人生は旅のように楽しいだけではない、終わりは必ず死が待っていると、映画に教えられているような気がした。それは人生の教訓である。

自分がイングマール・ベルイマンの映画を観たのは、『仮面・ペルソナ』に引き続いて2作目である。もっと見たいなと思った。

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