松本雄貴のブログ

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44回目「マイナス」(山崎紗也夏(旧・沖さやか):ヤングサンデーコミックス)

この漫画を読んだのは4年ほど前である。スーパー銭湯に行った際、休憩室の漫画コーナーに置いてあった。シンプルなタイトルに興味を引かれて、手に取って読んでみた。全部で5巻だったと思うが、一気に読んだ。自分の性格から考えて、面白くなければ、スーパー銭湯の休憩室でラストまで一気に読むなんてことはしないので、多分、面白い漫画だったのだろう。しかし、それ以降は一度も読んでいないため、詳細なストーリーやキャラクターの名前などはうろ覚えだ。

なぜ、うろ覚えの漫画の感想をブログに書こうと思ったのか。

理由は、ふいにこの漫画を思い出したからだ。そして、この漫画をふいに思い出すのは今回が初めてではない。4年前のスーパー銭湯の帰路から、現在に至るまで、何度かこの漫画を思い出し、この漫画について考えることがあった。その度に、この感覚を何かの形で文章に残したいと思っていた。幸い、今の自分にはブログというツールがある。だから、ここに『マイナス』の感想を書こうと思い立ったのだ。

『マイナス』を読み終わった後の、なんとも形容し難い「ある感じ」は4年経った後も心に強く残っている。そして、その「ある感じ」を日常生活のふとした瞬間、漫画内の幾つかの断片と共に思い出す。どのような瞬間に思い出すのかというと、人間関係に疲れた時だ。

しかし、人間関係に疲れた際に読むと心が癒される、というような類の漫画では決してない。寧ろ『マイナス』は、そのタイトルの通り、読み手の心に負の感情を想起させるエピソードが多かったように記憶している。今に至るまで、自分が再読しなかった原因もそこにあるような気がする。

『マイナス』の主人公は、高校の英語教師だ。彼女は美人でスタイルが良い。教え方も上手い。新人教師だが、クラスの担任を任されることになった。見た目の良さと頭の良さで、最初から生徒の心を掴む。普通に考えれば、このまま何不自由なく教師として順調に働いていけるはずである。しかし、彼女には性格上の重大な問題があった。それは「人に嫌われることを極度に恐れる」という問題である。例えば、次のようなエピソードがあった。授業が終わり、教室で生徒たちと楽しく話している最中に尿意をもよおす。しかし、話を中断してトイレに行くと、せっかく自分を慕って楽しくお喋りをしてくれる生徒に嫌われるかもしれない。だから「トイレに行く」と言い出せない。結果、生徒とのお喋りは下校時間まで続き、最後までトイレに行けず、その場で漏らしてしまう。

このエピソードは、たしか第一話目だった。ギャグの要素も含んでおり、コメディタッチで描かれているのでギリギリ笑える話として纏まっている。

しかし、物語が進むにつれて「人に嫌われたくない」という思いから派生する彼女の行動は徐々にエスカレートし、間違った方向に暴走し始める。ある男子生徒がイタズラで、テストの答案用紙に「先生とセッ〇スしたい」というような内容の落書きをする。もちろん悪趣味な冗談なのだが、落書きを見た彼女は、その言葉を真に受け「セッ〇スしないと男子生徒に嫌われる」と思い、本当にやってしまう。当の男子生徒は、快楽とは裏腹に、彼女の狂気染みた言動に困惑し、引いてしまう。人に嫌われたくないが為に行った行動の結果が、実際は、人に嫌われてしまうという、物事が本末転倒していく様子を、同じくコメディタッチで描いているのだが、ここまでくると最早笑えない。因みに、この男子生徒と主人公の関係は、かなり簡略化して紹介したが、もう少し複雑なドラマがある。しかし、4年前なので記憶が薄らいで書けない。

そして、人に嫌われることを極端に恐れる性格は、ついに殺人まで犯してしまう。殺人を犯すまでの過程と、その後に展開されるドラマは割愛するが、主人公の自己中心的な振る舞いと思考回路は、読み手に強烈な不快感をもたらす。

漫画は「極端」を描くことに優れたた芸術だと自分は考えるが、『マイナス』も例外ではない。徐々に主人公の狂気に拍車が掛かっていき、沢山の人達を巻き込み不幸にしていく様は、胸糞が悪いのと同時に、突き抜けた清々しさもある。ある種のカタルシスをも感じる。爽快感と不快感が絶妙に入り混じった感情が、4年経った今でも、生々しく自分の中に残っており、時折、思い出してしまうのだ。

先に、人間関係に疲れた時に、この漫画を思い出してしまうと書いた。主人公の心の問題。つまり「人に嫌われたくない」という気持ちは程度の差はあるにせよ、誰しもが持っている。『マイナス』の主人公は特殊な人間でなく普通の人間であり、自分たちの心にも存在するのだ・・・、というような凡庸に過ぎることを言いたい訳ではない。そういう事が言いたい訳ではないのだが、少し考えてしまうのは、やはり、自分が『マイナス』の主人公に共感してしまう部分が大いにあるからだろう。不快に感じるのと同時に共感もしてしまう。そして、そんな自分に負い目を感じてしまう。この感じをどう表現すればよいか、しっくりこない。先に「ある感じ」と抽象的に書いたのは、今の自分の手持ちの言葉では説明できないからだ。

『マイナス』の主人公の行動の原点は全て、「人に嫌われたくない」に集約される。それが故に、様々な不幸を自他共にもたらしてしまうのは、紹介した通りだ。少し発想を変えて「人に好かれたい」を行動の原点にすれば、何かが変わるだろうか。しかし「人に好かれたい」が為にする善行の方が、余計に性質が悪い気もする。「人に嫌われたくない」も「人に好かれたい」も消極か積極かの違いだけで、その本質は「自分は良い人間である」という証明が欲しいという、凡夫の思想に他ならない。しかし、それを追求するのは悪いことではないだろう。

・・・などと結局よく分からないことを書いてしまった。

結論。人間関係に悩んだときに、『マイナス』を読んでも抜本的な解決にはならない。が、何らかのヒントは得られるはずだと思うので、現在、人間関係に悩みを持っている人は、是非、読んでみると良いと思います。多少、不快な描写はありますが。

明けましておめでとうございます。

 

マイナス 完全版(1)

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