松本雄貴のブログ

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80回目「ソードフィッシュ」(ドミニク・セナ監督)

映画を観ながら、映画の本筋とは殆ど関係の無いことを三つ考えてしまった。何を考えたかを、下らない順に紹介する。

一つ目は、ジョン・トラボルタという俳優についてある。

ジョン・トラボルタ・・・。不思議な俳優だと思う。自分はジョン・トラボルタの顔を見ると何故か笑いそうになるのである。シリアスなシーンでも、ジョン・トラボルタの顔が画面に映ると笑いそうになる。別に、取り立てて変な顔ってわけでもないのに、なぜこうも笑ってしまうのか。あの髪型のせいだろうか。彼の顔がクローズアップされると、とたんに画面が漫画的になるような気がする。昔、ジー・オーグループという会社を経営していた胡散臭いおっさんに、ジョン・トラボルタはなんとなく似ていて、そこら辺も妙に笑ってしまいそうになる一因なのかもしれない。

二つ目は、エロスとタナトスについて考えたのである。

エロスというのは「生」に対する欲望。タナトスとは「死」に対する欲望である。この二つは表裏一体で、エロスの方は「生」よりも「性」といった方がしっくりくるかもしれないが、どちらも相反する欲望ながら人間の中に存在するのである。『新宿スワン』という漫画があって、スカウトマンの話なのだけど、後半は殆ど暴力団の抗争の話になる。暴力団の一人に灰沢という男が出てくる。この灰沢の台詞に「森永が生きてれば俺の負け。死んでれば俺の勝ち。・・・まさに命の極(きわ)!射精(イっち)まいそうだぜ」というのがある。(正確ではありません)要するに、賭けに勝ったら生き残るけど負けたら殺されるという極限の状態にエクスタシーを感じている場面で、こういうのがエロスとタナトスの表現として面白いと思ったのだが、『ソードフィッシュ』にも同じようなシーンがある。ヒュー・ジャックマン扮する主人公が、「政府のデータベースを1分以内にハッキングしろ」とジョン・トラボルタに脅されるシーン。頭にはピストルを向けられている。下半身は美女が口で自分のナニをナニしている。この状態で冷酷にもカウントダウンが始まる。このシーンを観た時に、ヒュー・ジャックマンの顔に灰沢の先の台詞が自分の中にアテレコされたのである。エロスとタナトスである。

三つ目は、テロリズムと自己犠牲、という主題を考えたのだが、長くなりそうだし面倒くさいから、今日はこの辺で。

気が向いたら、追記します。