松本雄貴のブログ

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23回目「ペイン・アンド・グローリー」(ペドロ・アルモドバル監督)

 ペドロ・アルモドバルの映画は脚本がとても込み入っている。だから、集中して観ないと話が分からなくなり、置いてきぼりを喰らってしまう。しかし、過去にアルモドバルの映画を観て集中力が切れた事はない。スペイン人特有の情熱を反映しているのか、映像がとてもポップで鮮やかだ。極彩色の映像に、アルモドバルお得意の変態チックなテーマが合わさって観客の脳を刺激するので、嫌でも見入ってしまう。
そして、最後まで観た後に作り込まれた脚本に唸らされる。『ジュリエッタ』『ボルベール《帰郷》』『私が、生きる肌』の3作が好きだ。『トーク・トゥ・ハー』も、脚本がとてもよくできていて感心するが、あまり好きではない。『バッド・エデュケーション』も同じくあまり好きではない。『オール・アバウト・マイ・マザー』は、恐らくアルモドバル映画の中では一番多くの人に評価されている映画だと思うが、自分はよく分からなかった。よく分からないというのは、『オール・アバウト・マイ・マザー』のみ、途中で集中力が切れて、冒頭に書いたように置いてきぼりを喰らってしまったのだ。ちょうど、体調不良と睡眠不足が重なった時期だったので、仕方がない。そんなわけで『オール・アバウト・マイ・マザー』は正当に評価できない。映画評論家のおすぎさんも絶賛しているので、機会があれば再見しよう。
トーク・トゥ・ハー』と『バッド・エデュケーション』が何故あまり好きではないのかというと、生理的に気持ちが悪いからだ。アルモドバルの映画は、殆ど生理的に気持ち悪いのだけど、この二つは特に気持ちが悪かった。他は、生理的な気持ち悪さが逆に世界観にマッチしていて面白かった。
 あと、『抱擁のかけら』もあまり好きではない。これは生理的な気持ち悪さはないが、主人公の言動に共感できなかった。自分勝手すぎるだろうと思ったのだ。不倫の映画で、不倫される映画プロデューサーが悪いおっさんのように描かれているけど「彼はむしろ被害者だろう」と、ずっと思っていたのだった。ただ、『抱擁のかけら』も相変わらず脚本がよくできていた。
 以上がアルモドバル映画に対する自分の個人的な感想である。で、けっこう期待した状態で新作の『ペイン・アンド・グローリー』を観た。初老の映画監督が過去を回想する。現代の話と過去の子供時代の回想を行ったり来たりする映画だ。集中が切れると途端に分からなくなってしまうような脚本と、毒々しいさ・下品さ・鮮やかさが渾然一体となった映像がアルモドバル映画の持ち味であり、自分がアルモドバル映画を生理的な好悪を超えて観たいと思う一番の理由だ。そういう観点から言えば『ペイン・アンド・グローリー』は少し裏切られた。現代の幾つかのエピソードと子供時代の幾つかのエピソードが、単体で投げだされるだけで、一つ一つのエピソードには関連性がなかった。他のアルモドバル映画では、関係ないと思っていたエピソードが実はどこかで繋がっていたりして舌を巻いたのだが『ペイン・アンド・グローリー』にはそれがなかった。いや、あったのかもしれないが希薄だった。スマホを介してアフタートークのインタビューに応えるシーンだけは面白かった。
 あと、印象に残ったシーンがある。少し前のこのブログで、三島由紀夫『仮面の告白』を取り上げたのだが、その中で「三島とアルモドバルは似ている」といったような事を書いた。『ペイン・アンド・グローリー』では、まさに「これは仮面の告白ではないか!」と思えるシーンがあったのだ。分かってくれる人、いるかな?
以上

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ペイン・アンド・グローリー