松本雄貴のブログ

本。映画。演劇。旅。

76回目「パッション」(ブライアン・デ・パルマ監督)

ゴダールメル・ギブソンも同名の映画を撮っている。今回は、ブライアン・デ・パルマの『パッション』である。当たり前だが、他の『パッション』と内容は全然違う。3つの『パッション』の中では、エンターテイメント色が強く、一番見やすいのではないだろうか。

アルモドバルの映画を薄口にした感じの印象を受けた。上司(女)と部下(女)と愛人(男)の三角関係もアルモドバルの映画ほどドロドロとはしていないし、後半のミステリー仕立てもアルモドバルの映画ほど込み入っていない。それ故に、若干の物足りなさはあるが、無駄がなくスピーディーに話が展開するので、最後まで退屈することなく観ていられる。

しかし、この映画に出てくる女性上司は本当に嫌なやつで、先に「若干物足りない」と書いたが、この女性上司の「嫌な奴具合」は、物足りないどころか、かなり突き抜けており、彼女の奸計に嵌った部下の女性は本当に観ていて同情した。つまり「嫌なやつ」の描き方の巧さに舌を巻いたのである。「嫌なやつ」は相手が嫌がる事をするから「嫌なやつ」になる。「嫌なやつ」を描きたければ同時に「相手が嫌がる事」を考えなければいけない。自分のような常人には、せいぜい「陰口を叩く」とか「根も葉もない噂を流す」とか、そのレベルの事しか思いつかない。『パッション』で描かれる「相手が嫌がる事」は、そんなレベルを優に超えており、相手を再起不能の状態にまで叩きのめす。人の尊厳を徹底的に踏みにじる。映画を観ていて不快な気分になると同時に、「よくこんな酷い仕打ちを思いつくなあ」と殆ど感心したのだった。少し前に触れた『悪い種子』という映画の少女が、大人になったら、こんな女になるのだろうなぁ、と思った。

この女性上司の嫌がらせと執念に、まさに映画のタイトルである「情熱」を感じたのだが、復讐する側の女性部下には、その復讐の方法も含めて、女性上司に感じた程の情熱は感じなかった。ラストも、なんとなく消化不良だった。