松本雄貴のブログ

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22回目「高瀬舟」(森鴎外:集英社文庫)

『じいさんばあさん』『高瀬舟』『山椒大夫』『寒山拾得』『最後の一句』『堺事件』『阿部一族』の7つの短編が収録されている。そして『高瀬舟』と『寒山拾得』には森鴎外自身による解説が付いている。さらに巻末の解説(川村湊林望)も読み応えがあり、鴎外の年譜まで収録されている。これで340円(税別)はかなりお得だ。
 収録されている7作の中では、『寒山拾得』だけが他の作品とは少し毛色が違う。まず『寒山拾得』だけが死ぬ人がいない。他の6作品は沢山の死が存在する。『寒山拾得』だけが極めて平和なお話だ。下らない話だった。下らない話というのは、面白い。昔の中国の官僚のおっさんが、高名らしい僧侶に会いに行くだけの話なのだが、この官僚のおっさんの通俗的な性格が面白かったのだ。大正5年に書かれた小説なので、多少の文章の読みにくさはあるが、慣れればどうってことない。下らない小説なので読み終わった後、特に何も残らないのだが、それが逆に清々しかった。とは言っても、人間には「道」に対する態度が三種あるというくだりは、少し残っている。下らないトーンで書かれているので油断していると、急に人生の真理が説かれて襟を正される。『寒山拾得』はそん小説だった。
『じいさんばあさん』もどうってことない話なのだが、編集が上手い。無駄がない。短編小説のお手本のような小説だ。現在の情景の後に過去の出来事を書いて最後に現在に戻る。映像的でスピード感のある小説だった。とても巧いのだが、全体の中では印象が薄い作品だ。「巧いなぁ」という感想以外には特になにもない。
高瀬舟』は小学校だか中学校だかの国語の教科書に載っていた。当時の小学生だか中学生だかの自分は、『高瀬舟』の主題を理解していたのだろうか。いわゆる安楽死の是非をテーマにした小説だが、テーマの重さと情景の静けさが重なってシンミリとした気分になった。夜の高瀬川を下る高瀬舟の情景描写の上手さに舌を巻く。中盤に庄兵衛が人間の煩悩について考える場面に、鴎外の人間とか人生に対する諦念のようなものが滲み出ているように思え、感慨深かった。
山椒大夫』はいわゆる人身売買の話である。昔は、こういう事が頻繁に起こっていたのだろうか。人身売買というと、なんだか凄惨なイメージを持ってしまうが、『山椒大夫』に於いては昔話的にデフォルメされているので、人身売買という語感からイメージするような生々しい感じはない。母親と二人の姉弟と老女中の4人が、父親に逢うために旅をしていたところへ、人さらいに誘拐され、二人の姉弟は母親と離れ離れになってしまう。『山椒大夫』とは、姉弟を買った人物の名前だ。二人は山椒大夫の家で奉公させられる。やがて弟が山椒大夫の屋敷から脱走し、姉は自害する。可哀想な話ではあるが、それよりも二人の子供の気丈さが素晴らしい。アホみたいな感想で申し訳ないが、読んでいる間中、ずっと二人の姉弟を応援していた。
最後の一句』は、この中で一番好きな作品かもしれない。『山椒大夫』と同様、とても気丈な子供たちが出てくる。一番好きな作品だが、子供たちが持っている「死」の概念が、現代と比べてものすごくかけ離れている。この時代では、この子供たちのような考えがわりと普通なのかは不明だが、度が過ぎる親孝行に狂気を感じたのだ。
『堺事件』『阿部一族』も忠義の為に自分の命を顧みない、正に武士道を生きる人たちが沢山出てくる。どこか精神的に軟弱で未熟になっている現代人が読むと、単純に尊敬する。どちらも面白いのだが、命を捧げるのは殆どが成人した男だ。だから『堺事件』『阿部一族』よりも、『最後の一句』の方が、年端もいかない女の子が、親の為に死のうとする分、狂気の熱量を感じるのだ。
 あと『阿部一族』は、『阿部一族』が登場するまでが長い。前半部分も面白いのだが蛇足だ。前半は前半で別の小説にしてくれた方がよかった。森鴎外にそんな注文をしても仕方がないが。
以上。