松本雄貴のブログ

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33回目 旅の記録:インド編⑥

ジョードプル

ジャイプルの次は、ジョードプルに行くことにした。ジャイプルのやや西側にあり、デリーからジャイプルに来た人は、そのまま流れでジョードプルに行く人が多い。

自分も、その行動原理に則ったのだ。

ジャイプルがピンクシティーと言われているのに対して、ジョードプルはブルーシティと言われている。

 

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確かに、青い。

「ブルー・シティ」という呼び名も納得できる。

しかし、頭がめちゃくちゃ痛い。悪寒がする。風邪の辛さではない。ちょっとまじでヤバイと思った。「マラリア」「コレラ」「腸チフス」という、恐ろしい単語が浮かんだ。恐らく熱が40度はある。

ジョードプルの駅に着くと、案の定、オートリキシャのおっさんが色々話しかけてきたが、煙に巻く気力も、値段交渉をする気力も起こらなかった。

どこでも良いから、静かな部屋で療養したかった。

だから一言「静かなゲストハウスまで、連れて行ってくれ」とオートリキシャのおっさんに伝えた。

これまでのインド旅で、やたらと話しかけてくるリキシャの男=悪い奴、という方程式が自分の中で出来上がっていた。なので、このおっさんもどうせ「病弱の俺から、法外な金をぼったくる気だろう」と思っていた。別によい。多少の金銭被害は覚悟している。そんな事より、早く休みたい。

あれ、そういえば乗る時に値段交渉をしなかったな。。。きっと、降りるときにふっかけてくるだろうな。。。

10分程走ると、ゲストハウスに到着した。

リキシャのおっさんが、自分の重たいスーツケースを中まで運んでくれた。こんなことは、初めてだった。フロントの人に部屋があるかを尋ねないといけない。と、思っていたら、リキシャのおっさんが、フロントと現地の言葉で交渉してくれている。

多分、「こいつ、かなり体調が悪いからできるだけ静かで安い個室を用意してやれ」とでも言ってる感じがする。そんな様子を、朦朧とした意識の中で見つめていた。

「こっちに来て、この紙に名前を書け」と言われた。その通りにした。フロントの人に部屋代を払い、部屋の鍵を受け取った。

リキシャのおっさんに「テッケア(take care)」と言われた。「サンキュー」と言ってから、気が付いた。まだ、おっさんに料金を払っていない。「How mach should I pay ?」と聞くと、おっさんは、「忘れていた」と笑って、ごくごく妥当な値段を言った。

自分は、誤解していた。

「話しかけてくるインド人は悪い奴」

これは基本的には正しくて、インド旅に於いては警戒し過ぎるくらいがちょうどよいのも事実だ。

ただ、例外もある。このリキシャのおっちゃんも、俺が通常の状態なら、きっと料金を多めにふっかけてきたかもしれない。

しかし、体調が悪く困り果てている人間を目の前にすると、自分の利益を考えずに献身的になってくれる。そこは日本人よりも親切かもしれない。

「人による」と言ってしまえばそれまでだが、取り敢えず、自分がインド人に対して偏見を持っていたことを恥ずかしく思ったのだった。

個室に入り、シャワーで汗を洗い流し、スウェットに着替えて、すぐにベッドに横になった。何度も魘されて目が覚めた。相変わらず、頭痛が酷いし熱も下がらない。

もしマラリアコレラだったら、最悪死ぬかもしれない。ちゃんとした病院に行って検査した方がよい。保険は適用されるのだろうか。てゆーか、海外旅行保険なんて馬鹿らしくて入っていなかった。入っときゃよかった。後の祭り。日本に帰国できるのだろうか。あまり人と接触しないほうがよい。

など、とりとめもなく考えながら、翌日まで眠った。

翌朝は、かなり体調が戻っていた。熱は引いている。下痢は相変わらずだが、街歩きに出掛けるくらいの元気は回復している。

もしマラリアコレラだったら、こんなにすぐに回復はしないだろう。指定感染症などではないだろう。と、自身で結論付けた。

※一応、日本に帰国後ちゃんとした病院で診てもらったので大丈夫です。下痢は帰国後も暫く続いたけれど、抗生物質を飲んで完治しました。

 

ジョードプルは、リキシャのおっちゃんに始まり、出会う人が皆、優しかった。ゲストハウスは家族で経営されており、中学生くらいの長男が人懐っこく、姉のことが大好きで、しきりに「自分たちの写真を撮って」と言ってくる。

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このゲストハウスに数日泊まることにした。

観光はあまりせず、街をブラブラ歩いたり、有名なオムレツ屋で食事したりした。

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翌日は、ホーリーというインド全土で行われる大規模な祭りがあるらしかった。

町中で、色玉を誰彼かまわず投げまくるという、なかなかクレイジーな祭りで、興味はあったが病み上がりなので参加はせず、部屋の窓から様子だけ見ることにした。

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ホーリーの最中は、こんなカラフルな人間が闊歩している。特殊な粉らしく、衣服に付着すれば、普通に洗濯しても取れないらしい。

参加せずによかった。。

総括

6回に渡って、当時のインドの旅を記憶を探りながら書いてきたけど、いかがでしたでしょうか。約一か月で、デリー、アーグラー、ヴァラナシ、ジャイプルジョードプルと5つの街を周りました。旅慣れてる人からすれば、正直物足りないかもしれません。

一か月もあれば、もっと色々な街を周れたかもしれないし、血沸き肉躍るような冒険譚が書けたかもしれません。

当時の自分は、初めての長期旅行ということもあり、インドという国にビビッていました。結局、病気を恐れてガンジス河では泳がなかったし、その他にも、やろうとして結局やらなかったことが沢山ありました。一歩踏み出す前に、躊躇してしまったのです。

今の自分だったらもう少し、インドと上手く付き合えていたかもしれないと思います。でも、当時はこれが精一杯でした。

その精一杯の感じが、文章で表現できていれば幸いです。

今はコロナ禍で海外にいつ行けるか分かりません。こんなことになろうとは、夢にも思っていませんでした。

早くコロナが終息し、また旅に出れる日を祈りつつ。

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32回目 旅の記録:インド編⑤

ジャイプル

 ジャイプルはデリーの南西にあり、比較的近い。詳しい時間はもう殆ど覚えていないが、ニューデリーを昼過ぎに出発し、夕方頃に到着したように思う。

ラージャスターン州の州都で、砂漠に近い為、空気は乾燥しており埃っぽい。さらに、太陽が激しく照り付け、昼間の街歩きはかなり疲れる。

ジャイプルは、特に行きたいと思っていた街ではなく、元々行く予定だったコルカタの代わりに来た街だった。

インドの他の都市と比べると、幾分、静かそう&清潔そうという理由で選らんだ街だ。

ピンク色の建物が多く、「ピンクシティー」と言われてるらしい。

実際は、鮮やかなピンクというわけではなく、少しくすんだ茶色とピンクの間の色が多かった。

 

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道は、デリーで見かけたオートリキシャーの喧しいクラクションや交通渋滞もなく、とても綺麗で整備されていた。徐々に悪化している体調にとって、暑さと直射日光以外は、ジャイプルに来て正解だったと思う。多分、コルカタジャイプルの何倍も不衛生で騒がしいだろうと想像がつく。

「美味しくて有名」と紹介されていたラッシー屋があったので、早速、購入して飲み干した。

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店員さんのやる気は全く無かったけど、確かに、ラッシーは濃厚でとても美味しかった。腸内に善玉菌を大量に摂取できた気がした。インドを旅している間はお腹に悪そうなものばかり食べており、事実、お腹を壊したから、気休めかもしれないが、ラッシーに含まれるビフィズス菌が腸内の悪玉菌を退治してくれそうな気がした。

まあ、気休めだけど。

この陶器のカップは使い捨てで、飲み干したら地面に落として割るらしい。

 

ヴァラナシでは、特に場所も時間も決めず、自分のペースで街をほっつき歩くというスタンスだったが、ジャイプルは「地球の歩き方」に載っている定番コースを忠実に再現する方法をとった。

行った場所は「シティ・パレス」「風の宮殿」「ジャンタル・マンタル」

どのような順番で回ったか、もう全く覚えていない。とにかく、猛暑の中を歩き回った記憶だけ残っている。

写真も、どの写真がどこなのか、今見直しても分からない。取りあえず、データに残っていた順番通りに載せる。

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最期の写真だけ、少し覚えている。天文学の何かを測る装置らしい。急に話しかけてきたインド人の青年に、色々教えてもらった。色々、話が発展してインド人が数学に強い理由についても持論を展開された。

一日中、歩き回ったので、さすがに疲れた。ジャイプルで一番印象に残っているのは「疲れた」ということだった。

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そうそう。

ジャイプルは、ウォークインで泊まったゲストハウスが、とても良かった。

部屋もドミトリーだが綺麗だし、屋上のレストランもリーズナブル且つ豪華で、素晴らしかった。

このゲストハウスに2泊した後、次は隣の街、ジョードプルに行くのだが、ここから先は、体調不良が益々悪化して、まさに苦行の旅だった。。

 



31 回目 旅の記録:インド編④

ヴァラナシには結局10日ほど滞在した。ガンジス河の火葬を見たら、すぐに次の場所に行こうと思っていたが、なかなか重い腰が上がらず、思いのほか長逗留してしまった。

ヴァラナシはそんな魔性の魅力があった。なんの計画もなく、歩き回るだけでも退屈しない。

滞在中は、路地裏のカフェで毎日5杯以上チャイを飲んでいた。

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色んな出会いもあった。

仲の良い3兄弟が経営しているゲストハウスで、長男のオーナーと、ベランダでガンジス河を見ながら、国際政治について真面目に語り合ったり、(ただ、国際政治の知識と英語力が欠如している自分には、相手の言うことの3割ほどしか理解できなかった。。お兄さんの世界を良くしたいという情熱は充分に理解できました)、シタールを習得するためにヴァラナシに来た音楽家の韓国人とも仲良くなったり。

これらは、自分の人生の中でもかなり貴重な出会いだと思う。

しかし、いつまでもヴァラナシにいても仕方がない。名残惜しいが、翌日出発しよう。

ただ、次どこに行くかは決めていなかった。このまま東に進んで、コルカタカルカッタ)に行こうとも思ったが、噂によるとコルカタはデリー以上に不衛生で、混沌としているらしい。

それはそれで、魅力的ではあるが、数日前からずっと体調が芳しくない。できれば、少し静かな街でゆっくりしたい。

そんなわけで、次の行先は反対方向のジャイプルという街に行くことにした。

Good Bye,ヴァラナシ!

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ヴァラナシ最終日。ゲストハウスのベランダから見るガンジス河

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ヴァラナシで最後のチャイを、ここで飲む。

④デリー再び

ジャイプルに行くには、一度デリーに戻らなくてはいけない。大急ぎでチケットを買い、夜行列車に乗り込んだ。席が隣同士になった同年代の日本人と、音楽の話で盛り上がり、友達になった。朝、デリーに到着し、そのまま真っすぐジャイプルに向かうのは疲れるので、デリーで1泊してからジャイプルに行くことにした。

たった数日前なのに、デリーが少し懐かしく感じる。

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車窓から。デリーに着く直前

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しばらくデリーをうろつく。1泊したらすぐにジャイプルに行く予定だったが、日本人の友達ができたのと、意外に居心地がよかったので、デリーの滞在を少し延長した。インド門や、コンノートプレイス、カーンマーケット、映画館などに足を運んだ。

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インド門

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映画は、まったく内容が分からなかった。上のポスターのようなシーンはなかった。

ゲストハウスは個室に泊まったが、壁にブッダの絵が描かれており、なんだか寝心地が悪かった。足を向けれない。。

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列車で出会った友達と宿で出会った友達は、皆日本人でとても落ち着くし安心する。ここで出会った友達とは、日本に帰ってからも暫くは連絡をとっていた。

さんざん、デリーの街を歩き回り、もういいかな、と思ったのでようやく、ジャイプルに行くことにした。

体調が、徐々に悪くなっていること以外は、概ね順調だったのだが。。

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30回目 旅の記録:インド編③

③ヴァラナシ

アーグラーでタージ・マハルを見て、さて次はどこに行こうかなと思案した結果、ガンジス河が流れている街、ヴァラナシに行くことにした。

 

アーグラーで泊まった宿のおじさんが、ヴァラナシまでの切符を手配をしてくれた。駅で切符を買おうとすると、切符売り場に辿り着くまでに無駄な労力がかかることは、デリーで経験済みなので、宿のおじさんに有料でお願いしたのだ。

おじさんが買ってきてくれた切符は夜中発の列車だったので、まだ時間はかなりある。だから、アーグラーでちょっと良い食事をした。

 

オーソドックスなインドの食事

↑これが、インドでのちょっとよい食事である。

普段は↓のような食事ばっか。

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食事を済ませても、まだ出発時間まで3時間ほどあるので、荷物を預けている宿に戻り、ロビーで本を読んだりして時間を潰していたのだが、、どうも体調が悪い。やはり、インドというカオス的な街に滞在しているうちに疲れが溜まってきたのだろうと、その時はお思っていた。

体調が悪いと言っても、動けないほどではないし、少し下痢気味だけど下痢はインドにおける通過儀礼だし、などと自分を騙し騙し旅を続けていくのだが、数日後、体調はマックスで悪くなる。が、その詳細はまた次回に書く。

列車の中で一夜を過ごし、朝になるとヴァラナシに到着していた。

事前情報によると、ガンジス河沿いの旧市街にゲストハウスが沢山あるみたいなので、取り敢えず、そこを目指す。

 

バックパッカーバックパックを背負って旅する人だが、自分はバックパックではなくスーツケースでインドに来た。日本でバックパックを購入する時間がなかったからだが、デリー、アーグラーでは感じなかったスーツケースの不便さをヴァラナシで痛感することになる。

地面の至る所に、牛の糞が落ちているので、スーツケースを転がすのは実質不可能なのだ。重たいスーツケースの取っ手を持ち、中に浮かせながら移動するのはとても大変なのだ。。

 

駅から旧市街までどのようにして辿り着いたのか、もう憶えていないが、確かインド人のおっさんに案内されたゲストハウスにそのまま泊まることにした。

スーツケースを部屋に置いて、早速、旧市街を散策した。

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ガンジス河の沿岸には、街とガンジス河を繋ぐガートと呼ばれる階段と、それに続く迷路のように細く入り組んだ通路がある。

 

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このガンカーと狭い通路を歩いているだけで、退屈しない。

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ガンジス河で沐浴している人、洗濯している人、用を足している人、など様々な人とその生活が混然一体となっている。

ぶらぶらと歩いているだけで、何か発見がある。いや、何か発見しようとする心じたいが野暮なのかもしれない。

ただ、見ているだけで何時間も過ぎてしまう。

ガンジス河の火葬場を見たときは、少なからず衝撃を受けた。

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また、写真ではうまく伝わらないが、宿のベランダから見る夜明けのガンジス河は、とても美しい。アーグラーでタージ・マハルの人工的な美しさに魅了された後、ガンジス河の自然の美しさに触れる。そうして感傷に耽る間もなく、また街には喧騒がひろがり、騙そうとするインド人が話しかけてくる。毎日がコントのようで何日いても飽きない。ヴァラナシは、自分にとってそんな街だった。

※ガンジス河は、遠くで眺めるの分にはとても美しいが、実際の水はかなり汚いので、軽い気持ちで入るのはオススメできません。破傷風などに罹る危険もあるので、くれぐれも自己責任で。

 

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「久美子の宿」は、まだあるのかな?

 

29回目 旅の記録:インド編②

②アーグラー

ニューデリー駅から電車に乗る。

インドでは、長距離列車の切符を買うのも大変だ。

というのも、日本人を騙そうとしてくるインド人がやたらと多く、本当に何度も何度も声を掛けてくる。まじでしつこい。

ニューデリー駅から出発する人は、声を掛けてくるインド人をひたすら無視して、2階にある外国人専用のチケット売り場に行くこと。 

長距離の場合は車中泊になるので、座席は下の席の方が寝心地がよい。

参考までに。。

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 ニューデリーからアーグラーまでは、確か3時間ほどだった。日帰りでも行けるが、あまりお勧めしない。

アーグラーは、首都デリーに比べると、駅周辺はけっこう閑散としていた。

駅前の道路にフィラリア症で足がパンパンに腫れている男性が座っていたことに少し、ショックを受けた。

 

ガイドブックに「オーナーが親日家で、多少の日本語も喋る」と紹介されていたホテル(名前は忘れた)に泊まる事にした。

オートリキシャでそのホテル前まで送ってもらい、チェックイン。

 

アーグラーにはタージマハルがある。

インド旅行の定番だが、是非行ってほしい。

純粋に美しい。これまでの人生、建築物を見て思わずため息が出てしまった経験は、おそらくタージマハルだけだと思う。

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外観は、左右対称。シンメトリーの美。

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サイドにはヤムナー河が流れており、柵がなく、けっこう高低差があったように思う。高所恐怖症の自分にはなかなか怖かった。ちなみに、ヤムナー河は世界で最も汚染された河らしい。聖なる建物の横に流れてる河がとても汚い、というところが、なんとなくインドぽくないでしょうか。

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タージマハル内部は、土足禁止なので靴を預けないといけない。
また、タージマハルはお墓なので内部の写真撮影は厳禁。

しかし、内部から外を撮るのはOK。

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2時間ほどかけて見学した。

タージマハルの敷地を出ると、また喧騒が広がっていた。

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アーグラーにはタージマハル以外にもアーグラー城などの観光ができるが、あまり興味が出なかったので、1泊だけして次の街、ヴァラナシに訪れた。

ちなみに、タージマハルの入場料は外国人料金が設定されていて結構高いです。

参考までに。

 

28回目 旅の記録:インド編①

「ソーシャル・ディスタンス」「新しい生活様式」「ウィズ・コロナ」

コロナ禍で言われだしたこれらの言葉を使うことに違和感と抵抗がある。

 

「ソーシャル・ディスタンス」は「社会的な距離」という意味だが、本来、人間は寄り添う事によって社会を形成してきたはずだ。テレビ番組を見ていても、出演者たちが、一定の距離を置いて座り、「ソーシャル・ディスタンス」を侵さないように気を遣いながらトークをしている様子が、なんとも虚しく感じる。

 

「新しい生活様式」は「一時的な生活様式」であってほしい。オンライン会議とかオンライン授業などは、確かに無駄がなく便利かもしれないが、オンライン飲み会は、やはり慣れない。宴会くらいは、リアルで会ってやりたいものだ。コロナが終息した後も、オンライン○○は残るのだろうか。

 

「ウィズ・コロナ」という言い方は事実上、コロナに人類が敗北したのを認めた事にならないだろうか。「ウィズ・コロナ」ではなく、「アンチ・コロナ」の気概でありたいものだ。少なくとも、コロナと共存などはまっぴらだ。

 

それはさておき。

今から7年前、2013年の夏、前の職場を辞めて約2カ月弱、プチ・バックパッカーのようなことしていた。沢木耕太郎の『深夜特急』に憧れて、20代のうちに長期の貧乏旅行をしてみたいと思い立ったのだった。

 

当時の自分の旅を、記憶を遡りながら紹介しようと思う。

今回はインド編だ。

 ①ニューデリー

インドの首都で、自分が最初に訪れた街。はじめてのインドで、ご他聞に漏れず様々なカルチャーショックを受けた。空港に着いて、ターミナルビルを出た瞬間、すでにインドの空気が充満していた。まず、何をすればよいのか「地球の歩き方」片手に右往左往していたところへ、何人ものインド人が親切を装って話しかけてくる。

鬱陶しさを感じながらも、「あぁ、ついにインドに来たのだ」と、感慨に耽る、、という暇は正直無かった。

 

安宿が密集するパハールガンジという場所に、なんとか辿り着いた。

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パハールガンジの路地裏

 一日目だし、ゆっくりとしたかったので、安さよりも清潔さに重点をおいてゲストハウスを探したが、なかなか見つからなかった。結局、清潔さは妥協して、安さが売りの「ナブラン」というゲストハウスに決めた。このゲストハウス、今でもあるのだろうか?

荷物を置いて、しばらくパハールガンジ周辺を散策する。

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道の真ん中に寝そべる牛

 

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バナナ売り

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カレー屋に長蛇の列

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屋外の散髪屋

 

インド初日は、このように観光もせず、一日中歩き回った。インドの街歩きは面白い。しかし、それ以上に疲れる。元々、デリーには2日ほど滞在してすぐにアーグラーに行く予定だったが、結局5日ほど滞在してしまった。滞在中はオールドデリーにも足を延ばした。

街中では、老若男女問わず本当に沢山のインド人に話しかけられた。1歳に満たない赤ん坊を抱いた女性に、右手を差し出された。こういう場合、他の人はどうするのだろう? 自分は一度無視したのだが、なんだか感じる必要のない罪悪感を感じてしまう。罪悪感を感じたまま、旅をするのは居たたまれないので、次に物乞いが自分に右手を差し出した時は、いくらか恵んでやろうと決心する。

早速、来た。ボロボロの服を着た老婆だった。ここぞとばかりに、100ルピーを数枚恵んでやった。老婆は「ありがとう」も言わず、ごく自然に数枚の100ルピーを受け取り、表情も一切変えないまま、歩いて行った。

これまた、居たたまれない気持ちになった。お金を恵んだのに感謝もされないこともそうだし、感謝をされないことに苛立つ自分に腹が立った。相手の感謝を期待して行う親切は、実は最も卑しい行為なのではないだろうか、などと自己嫌悪に陥る。

物乞いに施しても、施さなくても、別の種類の自己嫌悪を抱いてしまう。インドでは、こういう事がよくあった。結局、インドを旅するうえで一番良い方法は「なにも考えないこと」であると、悟った。その時の感情に任せてやればいいのだ。

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無垢な子供も「マネープリーズ」と言ってくる

インド初日は、こんな感じで過ぎていった。
デリー滞在中の5日間は、インド初心者が陥りがちなベタだけど、けっこう危険なトラブルに巻き込まれたが、それはまた機会があれば紹介する。

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デリーで食べたカレー

デリー最終日は、お洒落なカフェでチャイを飲み、クラブインディアというレストランで食事をし、旅行代理店でアーグラー行きのチケットを買い、ぐっすりと眠った。

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デリーの喧騒と人ゴミ

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宿の部屋から、街並み

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デリー最終日のカフェとクラブインディア、最後の写真は、忘れた。

翌日、列車に乗ってタージ・マハルがある街アーグラーに訪れたのだが、また次回に。。

 

 

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27回目「彼女が消えた浜辺」(アスガル・ファルハーディー監督)

仲の良い数組の家族が、3日間のバカンスを楽しむため、車でカスピ海の避暑地へ訪れる。そのグループの中に一人、エリという女性がいた。彼女は、家族の子供たちが通っている幼稚園の教諭だ。エリがこの旅行に参加したのは、友人で旅行の主催者でもあるセピデーに頼まれたため。セピデーはこの旅行を通して、エリに男友達のアーマドを引き合わそうとしたのだった。1日目は、部屋の掃除をしたり、ゲームをしたり、皆それなりにバカンスを楽しんでいたが、2日目の昼、事件が起こる。子供の一人が海に溺れてしまう。大人たちの必死の救助で、なんとか子供は一命を取り留めたが、安堵したのも束の間、今度はエリの姿が見当たらない。エリは一体どこへ行ってしまったのか、、、というお話。

 

登場人物が多い映画だが、取り敢えず、エリとセピデー、セピデーの夫のアミール、セピデーがエリと引き合わせようとした男友達のアーマド、この4人の顔と名前を覚えておけばストーリーを見失うことはない。

 

この映画の前半、つまりエリが行方不明になるまでと、その少し後まで、自分はあるコントを連想していた。

昔、ダウンタウンが作った『古賀』というコントだ。『ヴィジュアルバム』というDVDに収録されている一作で、なかなかシュールなコントだ。スカイダイビングをしにきた4人の友達。飛行機の中で「誰が最初に飛ぶか」みたいな相談をしていると、板尾創路扮する古賀が「俺、先行くわ」と言って唐突に飛び降りる。古賀のあまりの唐突さに他の3人は困惑するが、仕方がないので、皆飛び降りる。しかし、飛び降りた先に古賀はいなかった。どこにもいない。最悪の事態を想定しつつ、とりあえず3人は事情を説明しに古賀の家へ行くと、なんと、家から古賀が出てきた。古賀は、友達に何も言わず勝手に家に帰っていたのだった。「とても心配した」「なんで先に帰るんだ」などと、真っ当に詰め寄る3人に対して、古賀は悪びれる様子もなく一言「終わったから帰った」と言ってのけた。普通の人間が持っている常識が通用しない、ある種の狂人を上手く表現したコントだった。

 

コント『古賀』 古賀の家に行くと古賀がいた!

 

彼女が消えた浜辺』のエリも、古賀テイスト満載の女性だ。楽しんでいるのかいないのかよく分からない感じ。口数は少なく、自分から積極的に人に話そうとはしないが、何か話しかけられれば笑顔で応える。基本的に、早く帰りたいと思ってそわそわしているが、瞬間的には本当に楽しんでいる。アーマドと二人で街まで買い出しをすることになり、その車中、お互いの恋愛感情が少し芽生えたようで、その瞬間は本当に楽しそうだ。最も、エリの場合は古賀と違い、“ある事情”を抱えていたため、「早く帰らないといけない」理由があり、単に「帰りたいから帰った」古賀と違うのだが、その”ある事情”を知らない他の登場人物からすると、エリは古賀と同種の狂人に映っただろう。

 

『古賀』は、古賀が家に先に帰っていた事が判明して、最後にちょっとしたオチが付いて終わるのだが、『彼女が消えた浜辺』は、エリが行方不明になってから本格的なミステリーになる。携帯電話が圏外になる設定が効いている。エリの素性をセピデー以外は誰も知らないというのも、ありえないようだが納得させられる。ミステリーとして破綻がない。また、現代の日本人から見ると珍しい、イラン及びイスラム圏独自の貞操観念もミステリーを仕立てる核となっている。「婚約している事実」が如何に重大であるかを語られるのだが、そこは、イラン映画独特のものかもしれない。バカンスを楽しんでいる間も、女性たちは頭にスカーフを巻いており、それは或る視点から見れば非民主的で男尊女卑的に映るかもしれないが、自分は、戒律を忠実に守る人達に対して、何か懐かしさと親近感を覚えた。

 

ミステリーとしても上々の映画だが、自分がこの映画を良い映画だと感じる理由は、この懐かしさにあるのかもしれない。一日目の夜、エリを含む大人と子供が一緒になってジェスチャーゲームをする。ジェスチャーゲームでこんなに盛り上がれるのかというくらい、皆とても楽しんでいる。とても微笑ましいシーンで尚且つ、忘れかけていた大切な何かを思い出させてくれたような、素朴さ、懐かしさ、ノスタルジーを感じたシーンだった。

 

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ジェスチャーゲームに興じる大人たち

あと、補足だが、この映画に出ている子供、みんな恐ろしく演技が巧い。いや、演技ではなく素なのかもしれないが、溺れるシーンなどは目を見張るものがあった。

 

以上。

 

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彼女が消えた浜辺

 

 

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  • メディア: DVD