日々の読書日記

読書の忘備録です

149回目「黒い雨」(井伏鱒二:新潮文庫)

あらすじ

一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。

感想

8月6日に読み始めて、8月15日に読み終わった。だから何?って話ですが。「広島に原爆が落とされた日に読み始め、終戦の日に読み終わる」を実践したら小説の世界をより深く味わえるのではないか、と思っての試みだったけれど、そんな事を考えて小説を読む自分に浅ましさしか覚えない。

終戦後に慎ましく暮らす夫婦と姪の物語だが、中身は殆ど原爆投下直前と直後の広島の様子が描写されている。つまり、現在を生きる主人公たちの描写の中に、過去の日記として広島の惨状が挟まれており、この日記が小説の約8割ほどを占める。

原爆を投下された広島の阿鼻叫喚はビシビシと伝わってくる。合間に挿入される人々のいかにも小市民的な温かさやいじらしさ、或いは卑小さなんかも惨状との対比で面白いし。井伏鱒二の人間に対する独特な眼差し(厳しくもあり優しくもある)を感じる。

ただ、この日記をここまで綿密に書き込む理由がよくわからなかった。

主人公である重松が、この日記を書いた最初の動機は、「姪っ子の縁談を成功させるために、原爆症と噂される姪っ子の疑念を晴らすため」であるが、その手段として、ここまでの日記を清書する意図がよく分からなかった。日記というよりも、文学作品であり、ここまで書き込まれたものを相手方がきちんと読んでくれる保障などないし、また、「疑念を晴らす為」に書くのなら、いくらでも嘘を書いて信じさせる手段はあるはずなのに、嘘を付かずに忠実に書くというのは、人の心理としてどうなんだろう?と思った次第なのですが、そんな捻くれた事を考えるのは自分だけだと思うので、他の人は是非、そんな事は考えずに、普通に読んで普通に感動して普通に平和を願ってほしいです。