松本雄貴のブログ

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68回目「ファーゴ」(ジョエル・コーエン監督)

最近、かなり精神的に参っている…。それはさておき。

金に困った男が、同僚の知り合いの二人のチンピラに妻を誘拐させ、義父に身代金を払わせ、その身代金の半分を誘拐犯に渡し、残りの半分を自分のものにする・・・。という計画が二転三転し、悲劇が起こる。そんな感じのブラック・コメディー。

取り敢えず、金が欲しいからといって上記のような回りくどい方法を取るだろうか。真面目に働いた方が手っ取り早いに決まっている。さらに、回りくどいわりに計画自体は恐ろしく杜撰だ。狂言誘拐という大それた事をやろうとしているのに、詰めが甘すぎる。成功する見込みなんて無い。

短絡的で身勝手、さらに優柔不断で気の弱い男に心底腹が立った。しかし、その男のダメダメな部分が妙にリアリティがあり、面白かった。 

前回のブログで『雪山とその周辺』を取り上げたが、その中で、この小説を「今の自分にとって精神安定剤のような小説」と評した。コーエン兄弟の『ファーゴ』も、今の自分にとっては同じような映画だ。もちろん、両者の作風は全然違う。『雪山とその周辺』は優しく穏やかな小説だが、『ファーゴ』は沢山の人の血が流れるし、残虐なシーンも結構あるし、心が癒されるような映画では決してない。でも、不思議と自分の心には同じような安心感をもたらしてくれた。 

前述した通り、『ファーゴ』に出てくる男は、とても情けなく最低な男だ。仮にも長年連れ添った妻に対して誘拐を企てようとする発想が、とても身勝手である。誘拐犯に襲われた妻の恐怖を思うと、不憫でならない。この夫の妻に対する愛情とは、一体なんだったのだろうと虚しい気分になる。家族愛や夫婦愛よりも、短絡的に得られる金の方が、男の中では或る瞬間は確かに重かったのである。そこが、なんとも苦々しい。ブラックな映画である。 

なぜ自分が『ファーゴ』を観て『雪山とその周辺』を読んだ時と同様の心の平静を得られたのか。その理由は、ひとえに自分の性格の悪さにあるように思う。

『ファーゴ』の夫のような弱く情けなく頼りない男でも、一応は妻と結婚して息子を育て家族を養い、会社では部長職に就いている。あれだけ最低な男でも、そこそこの人生は送っているのだから、自分の人生も少しは大丈夫だろうという思考である。要するに人と比べて(それも架空の映画の人物と)自分の優劣を決める低俗な行為からくる安心感なのである。 

映画の見方としては間違っている気がするし、改めて、自分という人間の卑小さに呆れる。ただ、それくらい今の自分は精神的に参っているのである。どうか、ご勘弁を。