松本雄貴のブログ

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64回目「水いらず」(サルトル:新潮文庫)

本書を読んだからといって、サルトルの哲学について理解できるわけではない。小説はあくまで小説であり、それ以上でも以下でもない。

裏に書かれた粗筋とあとがきの解説によると、一応、収録されている5つの作品はどれも、サルトルの思想である実存主義に関係しているようである。しかし、哲学の知識がなくても充分、小説として楽しめる。むしろ、純粋に小説を楽しむなら余計な知識は邪魔だろう。いずれの作品も粘り気があってどんよりした雰囲気が共通している。そして、そこで描かれる世界は驚くほどに狭い。せせこましい。哲学者が書いた小説なので、さぞかし難解で高尚な世界が描かれているのだろうと思いきや、中身はとても通俗的だ。そういうところが、逆に面白かった。浅学な自分は、サルトルの有名な言葉「実存とは本質に先立つ」とは、つまるところ、「通俗的なものは高尚なものに先立つ」という事の言い換えなのだろうか? なんて思ったりした。多分、間違っていると思う。小説を読んで興味が出たのであれば、そこから哲学を勉強してみるとよい。それが正当な順序だろう。学ぶために小説を読むのは順番が逆である。

①水いらず

表題作だが、収録作品の中では、自分は一番よく分からなかった。正直印象の薄い作品だ。不能者である夫の元から一度逃げだした女が、結局、夫の元に戻ることになった顛末が書かれている。読後の印象は薄いが、人間の身体のどことなく醜い感じを上手く表現している。適度に日焼けした筋骨隆々で健康的な身体と対照的な、ぶよーんとした脂肪をまとった色白の不健康な身体に対する生理的な嫌悪を文体から感じた。個人的な感覚だが、納豆を食べている人の口元とか、スイカを食べた後に吐き出された種とスイカの残骸を見る時に感じる気持ち悪さと同じものを感じた。納豆やスイカが嫌いなわけではないが、食べている人を見るのが苦手なのだ。自分だけにしか分からない感覚だと思う。

②壁

死刑囚と密室という設定、それぞれの囚人の心理描写が巧みで、最後まで緊迫感を持って読めた。プロットもよく考えられており、短編小説として引き締まっている。サルトルの思想を、サルトルの小説に無理矢理こじつけて解説するには、この『壁』が一番しっくりくると思う。つまるところ不条理な世界が書かれている。カミュの不条理とサルトルの不条理はどう違うのだろう。なんてことを考えたい人は考えてみるとよいと思う。自分は面倒くさいから物語の世界に浸るだけで充分だ。

自分は小学生の頃、この『壁』と似たシチュエーションを体験した事がある。A君という友達とキャッチボールをして遊んでいた。A君の投げたボールが、B老人の盆栽に当たって割れた。自分は、素直にB老人に謝ろうとしたけど、A君は「バレないうちに逃げよう」と提案した。結局、自分とA君は逃げた。過去にも同じ経緯で自分はB老人の盆栽を割ったことがあるので、容易に犯人として挙げられた。で、B老人は自分の家に来て共犯者を教えろと言ったが、自分はA君を裏切るのが嫌だったので、C君という全然違う友達の名前を言った。C君には悪い事をしたと思ったが、当時、C君とは喧嘩中だったし、C君が潔白ならすぐに解放されるだろうと高を括っていた。しかしC君は盆栽を割るよりももっと悪い犯罪、すなわちスーパーでお菓子を万引きしていた。自分が適当に垂れ込んだのが原因でC君の万引きバレてしまったのである。『壁』とは若干違うが、自分が初めて世の中の不条理を感じた瞬間だった。「不条理」という言葉を覚えるよりもずっと昔の話である。

③部屋

狂人と結婚した娘とその両親が出てくる話。人は、自分の価値では測れない異質な他者に対して畏怖と軽蔑の両方を感じようとする。いずれも愚かな感情であり、愚かであるが故に人間的な感情でもある。いわば、卑小な感情だ。神を崇める宗教も、無神論的なニヒリズムも、人間が卑小な存在であるからこそ生まれたシステムなのではないだろうか。なんてことを考えてしまったが、まぁ、せせこましい話である。

④エロストラート

 一番、面白かった。一人の人間がテロリストになるまでの変遷、つまりテロリスト誕生のメカニズムがよく分かる。内容はマーティン・スコセッシの『タクシードライバー』にそっくりな小説。『タクシードライバー』にはラストに救いがあったが、『エロストラート』は少しダーティーだ。『タクシードライバー』の主人公には人としての良心や可愛げのようなものがあったが、『エロストラート』の主人公は終始、自分勝手な妄想に取りつかれている。

⑤一指導者の幼年時代

これについては、書きたいことが沢山ある。それ故、まだ自分の中で纏まっていない。今後、考えが纏まればブログに感想を書こうと思う。