松本雄貴のブログ

本。映画。演劇。旅。

50回目「カンガルー・ノート」(安部公房:新潮文庫)

『カンガルー・ノート』を最初に読んだのは中学生の頃だ。途中から意味が分からなくなり、読了するのが苦痛だった記憶がある。その後、安部公房の小説は『砂の女』『他人の顔』『飢餓同盟』『箱男』『燃えつきた地図』などを読んだ。これらは、『カンガルー・ノート』と違い、途中で意味を見失う事はなかった。中でも『砂の女』は、とてもスリリングな小説で、これまでに数回、繰り返して読んだ。『飢餓同盟』『他人の顔』は、一度しか読んでおらず、もう殆ど覚えていないが、『砂の女』同様、とても興奮し一気に読んだことを覚えている。『箱男』『燃えつきた地図』も難解ではあったが、楽しめた。

つまり、『カンガルー・ノート』は、自分が読んだ安部公房の小説で唯一、肌が合わないと感じた作品だった。ゆえに、中学生の頃に読んで以来、再読することはなかった。

そんな『カンガルー・ノート』を、この度、再度読み返したのは、特に理由があってのことではない。なんとなく読んでみようと思ったに過ぎない。約20年ぶりに読んだわけだが、相変わらず「意味が分からない」と思った。しかし、中学生の頃と違い苦痛は感じなかった。恐らく、中学生の頃は「意味が分からない」ものを許容するだけの度量が、自分の中に無かったのだ。それは、経験と語彙力に基づくものだろう。意味を問い、意味を考えることも重要であるが、意味を考えることを放棄してこそ楽しめる作品も数多ある。概ね、シュルレアリスムとは、言葉から意味を削ぎ落した先にある原風景を表現する芸術だと、薄学ながら考えている。意味を削ぎ落した結果、限りなく純粋で虚無的な世界が産まれる。経験も語彙も乏しい中学生に、この虚無の面白味を理解することは、そもそも無理な注文なのだ。

ただし、一般的に安部公房の小説はシュルレアリスム的とされるが、虚無的な感じはない。『カンガルー・ノート』は作品全体に情緒・情感が漂う。もっといえば、主人公の男の悲哀をも感じ取れる。寧ろ、中学生の自分が『カンガルー・ノート』の意味を理解できなかったのは、作品の奥にあるこの悲哀を嗅ぎ取ることができなかったからではないだろうか。

『カンガルー・ノート』は、夢の話だ。それも一人の男が死ぬ直前、刹那のうちに見た夢だと自分は解釈している。さらに自分の解釈を述べると、男は神経症を患っているように思えた。それが故に社会から孤立してしまった男。強迫観念に苛まれた挙句に、自殺してしまった男。その自殺の直前に見た夢の話。目の無い死んだ母親、知恵遅れの少女、採血をする看護婦などが出てくるが、それらはいずれも男の性的願望、性的コンプレックスの投影のように思う。後ろめたい願望を、夢という形で死ぬ直前に成就した男の記録を描いた小説なのだと、自分は結論付けた。だから、後味の決して良い小説では無いし、一見バッド・エンドのように見えるが、実は、最後に自身の願望を成就できたと思うと、あながちハッピー・エンドなのかもしれない。

真偽のほどは知る由も無いが、人は死ぬ直前、これまでの人生が走馬灯のように脳裏に浮かぶらしい。夢の話は、とりとめがない。夢なのだから、現実では起こり得ない荒唐無稽なことも起こる。だから、意味が分からなくて当然と言えば、当然なのだ。しかし『カンガルー・ノート』は、ただ単に荒唐無稽なイメージを羅列しているわけではない。話が空中分解せず、読者をぎりぎり小説の世界に留まれるように工夫されている。この工夫に舌を巻く。例えば、「カイワレ大根」がそうである。『カンガルー・ノート』には、カイワレ大根が出てくる。脛にカイワレ大根が生えてしまった男が病院に行く、というのが話の発端である。その病院のベッドで横になった辺りから夢の中に移行するのだが、その後も話の要所要所でカイワレ大根が出てくる。「脛にカイワレ大根が生える」という設定など無くても『カンガルー・ノート』という小説は成立するし、寧ろ、必要のない設定なのではとも思うが、さにあらず。このカイワレ大根が出てくるタイミングが絶妙なのだ。一歩間違えれば滅茶苦茶になって雲散霧消しかねない夢の話を、カイワレ大根の描写を要所に挟むことによって読者を繋ぎとめている。いわば接着剤としての役割を担っている。

『カンガルー・ノート』は7章からなる。章ごとに場面が変わる。これら一つひとつの章が、まったく脈絡なく続いているのかといえば、そういうわけではない。場面転換が唐突で、病院のベッドから夢に移行した瞬間も、その境目が分かりずらいし、レールに乗って移動するベッドに始まり、烏賊爆弾など、作中に出てくる小道具は突拍子もないし、ここら辺が夢の話であることから生じる「分かりにくさ」なのだが、注意深く読むと、物語としての体裁はきちんと整っている。「意味が分からない」と書いたが、案外、意味は分かるのだ。

もう少し感じた事を書くと、ピンク・フロイドの『エコーズ』や『鬱』が出てくるのだが、この小説の世界観は、キング・クリムゾンの『21世紀の精神異常者』と『ムーン・チャイルド』の方が合っているのでは、と思った次第だ。

以上

 

カンガルー・ノート (新潮文庫)

カンガルー・ノート (新潮文庫)