松本雄貴のブログ

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41回目「当世 悪魔の辞典」(別役実:朝日文芸文庫)

小説でも戯曲でもエッセイでもなく、辞書である。元ネタはアンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』であり、それの別役実バージョンである。辞書なので、それぞれの単語の意味が、あいうえお順に乗っている。「愛」で始まり、「我思う、ゆえに我あり」で終わる。同じようなことを筒井康隆もやっていた。筒井康隆の方は、「愛」で始まり「ワンルームマンション」で終る。こちらは、分量も相当だが、少しやりすぎかなとも思った。自分としては、別役実版の方が小さく纏まっていて好きだ。筒井康隆が天才なのは、この辞書を読むだけで充分、分かるのだが。

辞書というのは、実は作家の個性が一番出るのではないだろうか。そして、辞書を「読ませる作品」にするのは、小説やエッセイよりも遥かに難しい。それは当然で、辞書には小説のような物語もエッセイのような主張もないからだ(中には物語のない小説や主張のないエッセイも存在し、それはそれで面白いが、ここでは一先ず措く)。情緒を一切省いて、言葉の意味だけで作品を紡いでいく。そして、その言葉の本来の意味から脱線しない程度にユーモアと批評性を混ぜなければいけない。なかなか、プロの作家でも難しいのではないだろうか。

言語学者が編集した広辞苑などの一般の辞書と、作家が創作した『悪魔の辞典』のような辞書を比べると、いかに学者が真面目で作家がふざけているかが、よく分かる。学者は真面目であることが美徳であり、作家はふざけることが美徳なのだ。学者がふざけてしまうと、辞書の本来の使い方に支障が出るし、作家が真面目になると、そんな辞書は読む価値がなくなる。立場によってこれだけ正反対の価値が要求されるのは、辞書ならではではないだろうか。

何個か作中に書かれている自分の好きな言葉とその解説(意味)を紹介する。

 

【宇宙】SF作家のあらゆる荒唐無稽を許容する、融通無碍の空間。 

【オーケストラ】たったひとつの音楽を、多すぎる演奏家たちが、よってたかって奪いあおうとする、情熱的な試み。従って観客に聞こえてくるのは、音楽ではなくその騒音である。

【会議】あらかじめそうなることがわかっていることを、そのようにするための手続き。

【グルメ】黙って食べることのできない人間。

【自首】無能な捜査機関へのいやがらせ。

【泥棒】最も率直な経済活動。

【ナゾナゾ】わかってもしょうがないことを、わからせようとしたり、わかろうとしたりする手続き。

【ナンセンス】「ナンセンスではないもの、ではないもの」のこと。

【脳】いまだに、盲腸を使いこなすことも出来ない、無能な器官。

 こんな感じである。別役実をはじめ、辞書を創作した作家が、どれだけ捻くれていて魅力的な人物かが、少しでも分かって頂ければ幸いだ。

以上。

 

当世悪魔の辞典

当世悪魔の辞典