松本雄貴のブログ

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38回目「コルタサル短編集 悪魔の涎・追い求める男」(フリオ・コルタサル:岩波文庫)

アルゼンチン出身の作家、フリオ・コルタサルの短編集だ。表題の2作を含め、全10作品が収録されている。ラテンアメリカの文学について、自分は殆ど知らない。ガルシア・マルケスの小説を過去に一作だけ読んだことがあるくらいだ。

何も知らないので、変な偏見を持たずに読み始めたのだが、読み終わった後も「なるほど、これがラテンアメリカの文学か」とはならなかった。規定のジャンルに分類するのが困難なほど、どの作品も毛色が違ったからだ。そもそも、文学でも芸術でも、ある既存のカテゴリーに分けること自体がナンセンスであり作家に失礼な気がする。「ジャンル」とか「テーマ」などといった、一言では要約できないモノを描くことが本来の文学であるはずだ。そんなことはさておき。

収録されている10作品とも毛色が違うが、面白さの優劣はある。

それぞれの感想を以下に記す。 

『続いている公園』

わずか2ページしかない非常に短い作品。短いが、なかなか薄気味の悪い印象を残す作品。ありがちな発想ではあるが、ちょっと背筋が寒くなる。

 『パリにいる若い女性に宛てた手紙』

口から兎を吐き出す男が出てくる。奇想天外な設定だが、そのような「ありえない」ことを、普通の日常のように描く。主人公は「口から兎を吐き出す」せいで、色々な困難を経験するが、「なぜ口から兎を吐き出すのか」という根本的な疑問には、一切触れられない。そんなことは、大した問題ではなく、ただ吐き出してしまった兎の処理に右往左往する様子が描かれる。方向性はカフカの『変身』と同じような気がする。

 『占拠された屋敷』

地味な兄妹が住んでいる家が、徐々に何者かに占拠されていく。最初に半分を占拠され、次いで、全部を占拠される。兄妹は抗うことなく事実を受け入れる。権力に搾取され、洗脳され、反抗する意志をも持たなくなってしまった独裁国家の国民の悲劇を寓意的に描いている、という解釈は飛躍しすぎだろうか。そんな大袈裟なことは考えずに読む方が、案外、不条理な世界を体感できてよいかもしれない。

 『夜、あおむけにされて』

自分の解釈が合っているのか自信はないが、悪夢だと思っていた方が現実で、現実だと思っていた方が悪夢だった。・・・ということでいいのかな? 

 『悪魔の涎』

自分的には、これが一番難解で、かつ面白かった。「斬新な実験性と幻想的な作風」と、コルタサルの小説の特徴が表紙に紹介されているが、まさしく、そんな小説だった。安部公房の『箱男』に似た印象を持った。

 『追い求める男』

収録作品の中で一番長い。そして、一番マトモな小説。それ故、あまり面白くなかった。「物語」という点では、一番読み応えがあるのだが、他の作品と比べると少し浮いている。天才的なサックス奏者の伝記を、彼の友人であるジャズ批評家の一人称で描いた作品。音楽家としては天才だが、普段の生活は麻薬に溺れるダメ人間というシンプルな構図で描いて欲しかった。批評家と芸術家の関係性に言及するところなど、蛇足だと思う。薬物中毒者の退廃的な生活と、ステージ上で輝く天才サックス奏者、そのコントラストを順に描く方が、分かりやすく、面白いと思った次第だ。

 『南部高速道路』

これは面白かった。高速道路上で途轍もなく長い渋滞に巻き込まれた人達のお話。高速道路上という隔絶された空間の中で、他人同士がコミュニティを形成し、渋滞から解放されるために様々な手段を画策していく様子が面白い。協力だけでなく、敵対や利害関係もきちんと描かれる。人々が隔絶される場所が、無人島とか密室ではなく、高速道路上というのがよい。あくまで渋滞だから、少しずつ流れていくのである。車の外に出て色々な事を画策するのだが、渋滞が少し和らいで車がわずかに流れ出すと、運転席に戻って進まなければいけない。じゃないと後続車にクラクションを鳴らされる。こういう描写は高速道路だからこそできるのであり、無人島ではありえない。流動する密室という、ありそうでなかった設定が効いている。またコミュニティが形成される様子が興味深い。延々と果てしなく続いている渋滞の中では、全ての人間が同じコミュニティに属することは不可能であり、登場人物たちは、自分たちの手の届く範囲でチームを作る。ゆえに、コミュニティの境界線は曖昧だ。その曖昧さが上手に表現されている。国境の概念なども、よく似たものなのだろう。

 『正午の島』

南部高速道路が面白かったので、次の作品は、正直、印象が薄い。飛行機のキャビンアテンダント(男性)が、フライト中にいつも見下ろしていたギリシャの離島を訪れ、定住することを決める。仕事も恋人も安定した生活も捨てて、夢見ていた地に住む男のロマンが描かれる、『イントゥ・ザ・ワイルド』のような小説なのかと思いきや、ラストが少しいただけなかった。

 『ジョン・ハウエルへの指示』

芝居を観に来ていた男が、急に舞台に上げられ役者にされてしまう、というお話。冒頭の3行が、格言めいている。演劇とか舞台役者をやっている人なら、この短編は参考になるかもしれない。ピーター・ブルックに捧げられたものらしい。

 『すべての火は火』

最初の3ページくらいは、恐らく、誰が読んでも全く内容が分からないだろう。何故かというと、全く関係のない二つの物語がミックスされているからだ。ミックスされていることに気付いてからは、何となく、分かるだろう。しかし、不親切だ。二つの物語を混ぜているのだが、改行したり段落を変えたりすることで二つを区別しているわけではない。普通に続いているように見えて、急に別の話に変わっている。前衛的といえばそうなのかもしれないが、方法は短絡的で安直だと思った。太宰治の『虚構の春』の方が、まだ工夫されていたように思う。

 

以上