松本雄貴のブログ

本。映画。演劇。旅。

35回目「マティアス&マキシム」(グザヴィエ・ドラン監督)

タイトルの通り、マティアスとマキシムの二人の恋愛の映画だ。二人は男性なので、ボーイズ・ラブの映画である。まず一つ不満がある。劇中では「マティアス」「マキシム」というタイトルに使われている名前では、両者ともあまり呼ばれない。「マット」「マックス」と呼ばれる。髭を生やした彫の深い顔立ちの男性がマットで、顔にアザがある男性がマックスである。

自分は外国映画を観るとき、何故か、なかなか登場人物の顔と名前が一致しない。レビューを書くにあたり、これでは問題があるので、登場人物の名前が出てきた時点で、「こいつは○○」と頭の中で3回ほど復唱して覚えるようにしている。それでも覚えにくい場合は、その人物の見た目と関連付けて覚える。今回の場合だと、髭が生えている方がマットなので「ヒゲマット」、アザがあるほうがマックスなので「アザマックス」などと勝手に名称付けて覚えた。だからそれで統一してくれればよかったのに、途中何度かタイトル通り「マティアス」「マキシム」と呼ばれるところがあった。だから、マティアスはどっちでマキシムはどっちだっけ、と若干混乱した。

これが、一つ不満である。まぁ、こんなことで不満を感じるのは自分くらいだろう。

で、肝心の映画の内容である。

最初は普通の男友達だった二人が、仲間の妹が撮る自主映画に出演することになり、そこでキスをする。マットはその瞬間、マックスを友情ではなく恋愛対象として好きになってしまう。或いは、元々その気があったが意識の底に隠していた感情を、キスシーンによって呼び起こされたのだろうか。そこは定かではない。以降、マットはマックスを意識するあまり、マックスに対してそっけない態度をとるようになる。一方、マックスは母親との関係で問題を抱えており、マットとマックス、それぞれの悩みや葛藤を斬新な映像とセンスのある音楽で描いていく。

ここら辺の映像は、さすがカナダの鬼才と呼ばれるだけあって、グザヴィエ・ドラン監督の才能を感じた。

ただ、どうもマットの葛藤が自分の心の奥深くまでは入ってこなかった。入ってきそうな瞬間が幾つかあったのだが、入りきる前にフェイドアウトして、そのまま次のシーンに移る。だから、どうしても平坦な印象しか残らず、最後まで観ても、結局「だから、どうした」という以上の感想はもてなかった。

一つは、マットの行動の描き方に問題があるように思う。唐突な行動、意外な行動の後に、案外ベタな感情を吐露したりする。キスシーンを撮り終わった夜、マットは眠れなくなり近くの湖(海かもしれない)でかなり遠くまで泳ぎだす。見応えのあるシーンで、マットの言葉に出来ない苦悩をよく表していたが、そこで終わって、それ以上、マットの内面を深追いはしない。次のシーンでは、弁護士として働くマットのごく普通の日常が描かれる。

また、マックスがオーストラリアへ旅立つ数日前に、仲間達でお別れのパーティーをするのだが、マックスに対してモヤモヤした気持ちを抱えているマットは、このパーティーの席で、空気の凍るような言動をしてしまい、乱闘を引き起こしてしまう。このシーンも唐突かつ意外な展開で見応えがあった。だが、前述の湖で泳ぐシーン同様、マットがこのような行為に至る動機は、多くの恋愛に共通する、恐ろしくベタで有りがちな理由で、そこに斬新さはなかった。要約すれば、「好きな人の前で素直になれない」というような、とても陳腐な言葉で片付いてしまう。

グザヴィエ・ドラン監督の映画は、これ意外は「たかが世界の終わり」しか観ていないが、「たかが世界の終わり」は、陳腐な言葉では片付けられない深さがあった。だから見入ってしまったのだが、対する「マティアス&マキシム」には、そこが欠けていたのかもしれない。

最後に何点か感想を述べると、キスシーンを撮った妹のキャラは個人的にけっこう面白かった。薄っぺらい映画論を得意気に語るのが、愛嬌があって可愛かった。

パーティーシーンが多い映画だが、同年代の友達同士のパーティーに母親が普通に参加するのは、この国ではよくある事なのだろうか、という疑問が去来していた。

映画館で観たのだが、なかなかお洒落なポストカードをもらった。このポストカード、けっこう好きだ。

以上。

f:id:yukimatsumoto8181:20200925225943j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村