松本雄貴のブログ

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25回目「アウターゾーン」「アウターゾーン リ:ビジテッド」(光原伸 集英社コミックス)

自分が小学生の頃の少年ジャンプは黄金期であった。「ドラゴンボール」「幽遊白書」「スラムダンク」の三本柱を筆頭に、多彩な漫画が連載されていた。当時は、大人たちの間でも少年ジャンプが流行っていたらしく、父親は毎週月曜日にジャンプを買って家に帰って来た。父親が読み終わった後に、自分も読んだ。当時の多くの小学生男子と同じく、自分も「ドラゴンボール」が大好きであったし、翌日のクラスの話題は「ドラゴンボール」で持ち切りだったように思う。だから、毎週月曜日は父親が仕事から帰ってくるのが待ち遠しかった。「早く読みたい」とワクワクしていた。
しかし、実は、自分の本当の楽しみは「ドラゴンボール」ではなく「アウターゾーン」であった。いや、正確には、堂々と楽しみにしていたのが「ドラゴンボール」であり、密かな楽しみにしていたのが「アウターゾーン」であった。つまり小学生男子にとって「アウターゾーン」は堂々と楽しみにすることに、少し罪悪感や後ろめたさがある漫画だった。友達に「アウターゾーンが好き」と公言するのは、少し憚られたのだ。
自分と同じような感覚を持っていた人が多数いたのかは定かではないが、「アウターゾーン」は実際の人気に比べて、かなり過小評価されていたように感じる。毎週、最後のページに掲載されていた。
アウターゾーン」は殆どが一話完結のオムニバス形式で、内容はホラー系の話が中心だが、SFやサスペンスなどもあり、多岐にわたる。少年誌には似つかわしくないダークな話、グロテスクな描写もある(そこも魅力の一つなのだが)。派手なバトルや壮大なアドベンチャーが主流であった少年ジャンプの中では、確かに地味で異色な漫画だった。
この度、なんとなくネットサーフィンをしていると、なんと「アウターゾーン」が復活していることを知った。といっても、復活版も数年前に終わったのだが、自分にとっては嬉しい発見であった。早速、LINEマンガというアプリで当時の「アウターゾーン」と復活版の「アウターゾーン リ:ビジテッド」を購入して読んだ。
改めて、面白いと思った。
というか、これだけクオリティの高い話を、毎週考えて書いていたことに感服する。そして、やはり「アウターゾーン」及び「アウターゾーン リ:ビジテッド」の最大の魅力はミザリィというキャラだろう。ミザリィというのは、冒頭にストーリーテラーとして登場する妖艶でミステリアスな女性だ。「古畑任三郎」に於ける田村正和の冒頭の挨拶や「世にも奇妙な物語」のタモリと立ち位置は一緒だ。そしてミザリィは冒頭だけではなく、ラストの締めくくりにも出てくるし、物語の中で怪しげな商品を販売するアンティークショップの店員としても登場するし、アンティークショップ以外にもガソリンスタンド、ナース、メイド、占い師、人工知能など様々な職業・立場になって登場する。ミザリィ自体が物語の根幹に大きく絡む話もある。さらに「リ;ビジテッド」では、中学生になったミザリィやロリータになったミザリィなども出てくる。まさに変幻自在で神出鬼没のキャラだ。そして、ミザリィは「アウターゾーン」の中では《神》のような存在だ。誰もミザリィには逆らえない。どんな怪力を持った暴漢でも、ミザリィには負ける。過去にも行けるし、未来にも行ける。瞬間移動もできる。時間も空間も超越した存在だ。普通、この手のキャラクターを多用すると「ご都合主義だ」という批判が出そうだが、「アウターゾーン」の場合は、逆にこの強引さとご都合主義が大きな魅力になっているので不思議だ。ミザリィだからこそ漫画の中で何をやっても許される。ミザリィには、読者にそう思わせる力がある。それは、そんなキャラクターを創った作者の力だ。
また、ホラーが主なので凄惨なシーンや残酷なシーンも沢山あるのだが、根底にはヒューマニズム流れているので、下品にも露悪的にもなりすぎず、好感が持てる。悪い人間は相応の報いを受け、良い人間は救われる。それも全てミザリィの手によるものだ。ミザリィ及び作者に良識があるが故だ。
以上、とても好きな漫画のレビューでした。