松本雄貴のブログ

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18回目「ブラックホーク・ダウン」(リドリー・スコット監督)

10代の頃は、戦争映画にアレルギーを持っていた。特にハリウッド産の戦争映画に対しては、どうせアメリカ側の正義を一方的に押し付ける映画だろうと決めつけていたので、殆ど見ていない。
 20代になって「プライベートライアン」とか「地獄の黙示録」とか「フルメタルジャケット」などを見た。ハリウッド産の戦争映画といっても色々あり、内容は薄いけれど戦闘シーンだけはお金が掛かっていて見応えがあるものや、地味だけど脚本や見せ方が工夫されており心にシミジミと残るもの、或いは、派手な戦闘シーンは殆どなく、ひたすら人間の暗部に焦点を充てたものなど、実に多種多様であることに気付いた。だから10代の頃に抱いていた戦争映画に対するイメージは、愚かな偏見であることを悟った。食わず嫌いは良くない。批評は観てからする。まぁ、ごく当たり前の事に20代半ばでようやく気付いた訳である。偏見が良くない事に気付き、コンスタントに戦争映画を観出した一方で、戦争映画の場合どうしても妙に身構えながら鑑賞してしまう自分がいる事にも気付いた。他のジャンルの映画を観ている時には感じない、ある種の居心地の悪さを感じる事が多々ある。居心地の悪さを感じる原因は、作り手の偽善と説教臭さが主な要因だ。偽善と説教臭さを感じる戦争映画の大半は、戦争映画を撮って儲けているくせに「戦争反対」のメッセージを申し訳程度に付け加えている。そして、その自己矛盾に悩むことも無く平然としている厚顔無恥さが苦手なのだ。だから、その特徴が顕著なオリバー・ストーン監督などはあまり好きでない。
 小学生の頃に社会科の資料集に載っていた写真を始めて見たときの違和感を思い出す。その写真は、飢餓で死にそうになっているアフリカの子供と、その子供を狙うハゲタカを撮った写真だ。有名な写真なので、知っている人も多数いるだろう。カメラマンには、内戦と飢饉に苦しむアフリカの実情を世界に向けて発信したかったという真っ当な思いとジャーナリスティックな情熱があったのだろうが、「写真を撮る前に、その子供を助けろ」「飢餓に苦しむ子供を利用して名声を得ている」などといった意見も同時に真っ当だ。後日、カメラマンは自殺されたらしい。その事も含めて、なんとも言えない気持ちになった。
 話が少し逸れたが、要は、多くの戦争映画に見られる「作り手が正しい位置に立って、世情を批判する感じ」がどうにも苦手なのだ。
しかし30代になり戦争映画との付き合い方がさらに変わった。もう10代の頃にあった偏見も、20代の頃にあった居心地の悪さもなくなった。代わりに戦争映画を評価する一つの指標ができた。観終わった後に「やっぱり戦争はしてはいけないな…」と思わせる映画は、ひとまず「良い戦争映画」だと思うようになった。その意味での「良い映画」が沢山作られ、多くの人が観ると、少しだけ世界が平和に傾くのではないかと夢想しているのだ。30代になって逆に青臭くなったのかもしれない。
 前置きが長くなったが「ブラックホーク・ダウン」を観た。ソマリアでの内戦にアメリカ軍が介入する映画だ。国力で大いに勝るアメリカが、ソマリア独裁政権を簡単に一掃できると思っていたのに、蓋を開けてみるとまさかの苦戦を強いられ、挙句の果てにヘリを墜落させられ、死者を多数出し、戦場がとんでもない地獄と化す。映画のほぼ8割が戦闘シーンだ。その戦闘シーンも、ごちゃごちゃしていてよく分からない。とにかく、次から次へとソマリア民兵が現れる。私服を着ているので、文字通り民兵だ。迷彩服ではないから、一般市民との見分けが付かない。どこにどれだけ潜んでいたのかも分からない。米軍の人員配置もよくわからない。そもそも、よく分からないうちに戦闘が始まる。そして、よくわからないうちに戦闘が激しくなり、気付いた時には泥沼化している。よくわからないが故に、不気味さを感じる。墜落したブラックホークに、ソマリアの武器を持った民兵たちがウヨウヨと集まる光景は、まさに恐怖だ。ここまで徹底して戦場の混乱を撮ったのが凄い。安易なヒューマニズムに走ることなく、戦場の混乱のみを集中して撮っている。そして、一瞬映る現地の子供たちに、胸を締め付けられる。こんな地獄のような光景が、現地の子供には日常なのだ。そんな事を思って胸を絞めつけられていると、次の瞬間にはまた激しい戦闘が始まる。前述したとおり、8割方が戦闘シーンで、登場人物たちの感動的なドラマやエピソードは殆ど描かれていないが、そこが新鮮で、逆に他の多くの戦争映画以上に感じるものがあった。そして無論「やっぱり戦争はしてはいけないな…」と思った次第だ。

以上