松本雄貴のブログ

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11回目「髪結いの亭主」(パトリス・ルコント監督)

まず、タイトルが良い。なぜ、タイトルが良いかというと、映画の内容がまさに「髪結いの亭主」の話であるのと、これは、ネットで初めて得た知識なのだが、「髪結いの亭主」とは、日本の諺でもあり、その意味は「旦那が働かず、嫁の稼ぎで食っていること」或いは単に「ヒモ男」という意味があるらしく、まさに、この「髪結いの亭主」の主人公が、諺の意味通りの男であるから、要するに、タイトルで映画の中身を二重の意味に掛けているわけだ。これは、なかなか巧いと思う。
で、肝心の映画の内容なのだが、この映画は論理を司る左脳で観ると面白くない。感性を司る右脳で観ると面白い。
左脳で観ると、論理的におかしなところが多すぎてついていけない。例えば、初めて来た客にいきなりプロポーズされて承諾したり、客の髪を切っている最中に客に気付かれないように性行為をしたり(これは、プレーとしてはあり得るからOKか)、急におっさんが奇怪なダンスをしたり、、と論理的に考えたら、どのような理由で登場人物たちがそのような行為をするのかが、理解できないのだ。
しかし、そんな理由を考えることなど放棄して「こういう映画なのだ」と割り切って観ると、とても良い映画だ。
というか、映画は考えるものではなく、感じるものなのだから、左脳で観るのは邪道かもしれない。
最期。なぜ奥さんが自殺したのか、、、その理由をこの映画を観た人たちの間で議論すると、盛り上がるだろう。
これは余談だが、最近観た映画と読んだ本、「グレートギャツビー(フィッツジェラルド)」「トリツカレ男(いしいしんじ)」「陰獣(江戸川乱歩)」そして「髪結いの亭主」同じ監督の「仕立て屋の恋」いずれも、ストーカー気質の男が出てくる。