松本雄貴のブログ

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3回目「スリー・ビルボード」(マーティン・マクドナー監督)

アメリカの小さな町で、凄惨な事件が起きた。被害者は何者かにレイプされた挙句に殺害された。そして、7年が経過したが未だに犯人は分からず手掛かりさえ掴めない。業を煮やした被害者の母親は、道路沿いに立ててある3つの巨大看板に警察への抗議の広告を載せる。この看板がすなわちタイトルである「スリービルボード」 小さな町で、この看板の効果は絶大で、忘れ去られた過去の事件が瞬く間に町の人々の記憶を呼び戻し、関心が広がる。無能な警察を批判する者もいれば、警察を擁護する者もいる。広告を出した母親を応援する者もいれば批判する者もいる。ここから警察VS母親の構図でしばらく話が続くのだが。。。
被害者の母親が善で警察が悪、という単純な話ではない。それぞれの側に、それぞれの事情があり立場がある。登場人物たちの関係も、敵対・不信から友好・信頼になり、だけど、ほんの些細な誤解、行き違いによって再び、敵対・不信に変わる。その微妙さ、或いはバランスの危うさが、感動を誘う。
この映画の登場人物を大きく分ければ2つに括れる。一方は警察組織。もう一方は母親とその家族達。しかし、警察組織というチーム、家族というチームが同じ思いを共有しているかというとそうではない。母親と息子の間にも不穏なものがあるし、別れた旦那との関係も真っ当な目でみれば異常だ。最も、真っ当な目というのも主観でしかないし、価値観なんてものは人それぞれだが。警察の中でも、平気で権力を振りかざし、差別主義を前面にだして恥じないやつもいれば、勤勉に捜査をしているものもいる。味方、敵、味方の中の敵、敵の中の味方、味方が敵になる瞬間、敵が味方になる瞬間、そんな複雑な関係性を抱えた登場人物たちが、熱量の差はあれど「犯人の逮捕」という朧気な目標に、向かってゆっくりと進んでいく。
曖昧で微妙な関係性がこの映画の感動を誘うと上に記したが、象徴的なシーンがある。
町の歯医者に怪我をさせた母親が警察署で署長に取り調べを受けるシーン。警察VS母親を描くための典型的なシーンに思えたが。。
しかし、お互いを挑発し合い、罵り合っている最中、がんを患っている署長が急に吐血し苦しみだす。
相手の思わぬ弱点に触れた母親は、その弱点を攻撃の材料にするわけではなく、また顔に血を掛けられて激高するわけでもなく、むしろ狼狽し、不安になり、そして介抱し「大丈夫?」と声を掛ける。その表情には優しささえ表れていた。吐血をした署長も素直に「すまない」と謝罪し彼女に全てを委ねる。
先ほどまでの敵対関係が一瞬の内に相手を思いやり、信頼する気持ちに変貌する。
人間の感情の矛盾、それがもたらす悲哀を、この何気ないシーンに見て取れた。
いい映画だった。