『ちびまる子ちゃん』のクラスに藤木という男子がいる。藤木は他のクラスメート達から卑怯者のレッテルを貼られている。なぜ藤木は卑怯者になったのか。詳細は覚えていないが、最初の方のエピソードで藤木が卑怯者になるきっかけがあったように思う。それ以降、まる子のクラスで何か事件があれば最初に藤木が疑われる。全くの冤罪で疑われる場合も多々あり、その度に弁明するのであるが、弁明すること自体が自己保身的と見なされ、「やっぱり藤木は卑怯者」と言われる始末である。気の毒な奴ではあるが、彼はクラスの中での自分の立場をよく弁えている。彼の言動は常に「自分は卑怯者」という原理に則っている。「卑怯者」というキャラに自ら進んで寄せている節もある。或いは、「卑怯者」というキャラ設定によって、クラス内における自分の地位を確立しているともいえる。だから他の者は安心して藤木に「卑怯者」と言えるのである。藤木の友達で、藤木と同じく陰気な性格の永沢という奴もいるが、彼はクラスの中で「卑怯者」とは見なされていない。一つ一つのエピソードをつぶさに見ていくと、藤木より永沢の方が卑怯ではないか?と思う事もしばしばあるが、そこは誰も全然突っ込まない。永沢に対して「卑怯者」と言うと、おかしな空気になるからだ。だから、永沢の悪事は「卑怯者」とは別の言葉で非難される。永沢と藤木が同じような悪事を働いても一方は「卑怯者」になり、もう一方はそうはならない。「卑怯者」と言ってよい人間と言ってはいけない人間の区分が、クラス全体に共有されているのだ。それは明言化されている訳ではなく、あくまで「暗黙の了解」である。暗黙の了解を破ることは、まる子のクラスではタブーなのである。とかく、子供の社会は、大人の社会以上に人間関係が難しい。「んな、大袈裟な」と言われそうだが、『ちびまる子ちゃん』は、子供の人間関係の難しさを巧く描いた秀逸な漫画だと思っている。
何故、ノーベル賞作家であるカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』で、『ちびまる子ちゃん』のことをダラダラ書いているかというと、実はこの二作、けっこう似ていると思うからだ。同じ施設(この施設がどういう施設なのかはかなり重要)で生活する3人の男女(キャシー、ルース、トミー)のやりとりは、誠に『ちびまる子ちゃん』的なのであるが、多分、分かってくれる人は少ないだろうなぁ、とは思う。やりとりというよりは、一種の駆け引きに近い。『わたしを離さないで』では、『ちびまる子ちゃん』で描かれる子供社会の人間関係が、より一層踏み込んで書かれている。『ちびまる子ちゃん』では、それぞれの登場人物が与えられた自身の性格を忠実に守り、かつ、誰も他の人物のキャラを逸脱させない、というルールが遵守されている。藤木は卑怯者であり、前田さんは傍若無人であり、たまちゃんは良識であり、山田はアホなのだ。時折、藤木が卑怯者でなくなったり、前田さんが良い奴になったり、たまちゃんが非常識な振る舞いをしたりもするが、それには必ず「話の都合上」というエクスキューズがあり、物語全体に於いて、概ね「お約束」は守られる。
一方、『わたしを離さないで』はもう少し込み入った事情がある。『わたしを離さないで』にも、登場人物の性格というものは存在するし、その性格に則った言動をとるのは『ちびまる子ちゃん』と同様だが、『わたしを離さないで』では、人物が自らに課せられた性格を破ることによって、或いは、他人が故意にその人物に課せられた性格を侵すことによって人間関係が微妙に変化していく様子が丹念に描かれている。段々、何を言っているのか分からなくなってきた。
例えば、手に入れた品物を自慢する人がいる。自慢された人は「ああ、またこいつ自慢話してるよ」と心の中で思うが、実際には口にしない。口にした瞬間に二人の間の何かが終わることを、自慢する者も、自慢される者も熟知しているからだ。「自慢しても、自慢したことを非難されないというお約束が機能しているから自慢する者は安心して自慢できる」という前提の元で自慢をするのだが、『わたしを離さないで』は、この「お約束」が多々、破られる。破られてしまえば、そこで関係は終わってしまうはずなのだが、『わたしを離さないで』は「お約束」が破られてしまった後、さらに「破られたお約束」という状況を利用して関係の修復を計ろうとしたり、「お約束が破られるというお約束」という新たな「お約束」が生まれて、そこからまた、二人の関係が発展したりするのだが、本当に自分で何を言っているのか分からなくなってきた。
こんな事をダラダラ書いても仕方がない。要するに、我々が現実の社会で常々実践している人間関係の駆け引きを、その心理の変遷を微細かつ執拗に描いているのである。要するに、日常を描いた小説なのである。
で、そんな日常を描きながら、小説の設定はとても特異な設定であるところに、悲しさがある。登場人物たちは、臓器を提供するために子供の時から施設で共同生活をしている、というショッキングな事実が、早い段階で明らかになるが、ラストはさらにショッキングな事実が判明する。
因みに、この小説はウィキペディアに紹介されているが、ウィキペディアに掲載されている粗筋は酷い。書いてはいけない部分まで書かれていて、営業妨害だと思う。